聖書の教え– tax –
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身を美しく
旧約聖書・箴言19章より、躾についてです。「躾」という字は「身」を「美」しく、と書きます。親は子供に美しい人生を歩んでもらいたいと望みます。 -
投影
ある男性が主治医に電話をします。 「妻の耳が悪くなったみたいなんです、いつ呼んでも返事がありません」 主治医はその電話で診断を始めます。結果は意外や意外。奥様の耳は悪くありませんでした。 -
どこから自信は来るのか
自信。自信とはどこから来るのでしょうか? ある程度の自信は必要なものでしょう。しかし、持ちすぎるのは問題です。すべてがおざなりになってきます。 -
2羽の鳥
「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである」(新約聖書・ガラテヤ人への手紙3章26節) 今の日本で「自分は神の子である」と言いますと、変人と思われるでしょう。しかし、ここにあります様に、キリストを信じる信仰によって神の子なのです。 -
深い憐れみ
以前のお話にもありましたが、イエスは12人の弟子達を2人ずつ組にして近隣に派遣しました。その時、弟子達は派遣先の奉仕を終えて戻ってきたら、うまくいった事もいかなかった事も全てをイエスに報告していたようです。その後、イエスは弟子達に休みを取るように指示します。しかし、静かな休息の時は長くは続きませんでした。 -
山に向かって
我々の人生には色々な山があり、時によっては到底乗り越える事が出来ない様に思われる山が立ちふさがります。この様な山に出会う時どの様に考えたら良いのでしょうか? それに対して大きなヒントを与えているのが旧約聖書の詩篇121篇です。お聴きください。 -
親切なことば
「親切な言葉は蜜の滴り...」と、旧約聖書の箴言に記されています。続いて「...魂に甘く、骨を癒す」と、あります。親切な言葉は心にも体にも、健康を与えることが出来ます。 -
自己超越願
心理学者マズローは、人の欲求を6つのレベルで説明します。 ①生理的欲求 ②安全欲求 ③愛と所属の欲求 ④社会承認欲求 ⑤自己実現欲求 ⑥自己超越願望 人はレベル①から始まり一つ一つを達成し、最後には自分という枠を超えて他者を豊かにする願いへと高められ⑥に至ります。 -
全てを知る誘惑
旧約聖書に記されているアダムとエバの物語りは有名なお話です。二人は神様が唯一禁じた木の実を食べてしまいます。「善悪を知る木」と言われる木の実です。 人には物事を知りたいという願望があります。そのため毎日ニュースを見聞きし、本を読みます。 しかし、人が全てを知ったと思う時、何が起こるのでしょうか... -
途上に生きる
「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕らえようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕らえられているからである」(新約聖書・ピリピ人への手紙3章12節)藤田牧師がこの聖句の説明をされます。