第1章 福音の初め(マルコ1章1節~20節)
数年前のこと、一人のオーストラリア人学者であるバーバラ・スイーリングという人がイエスに関する1冊の本を著して世間をあっと驚かせました。その本の名は、『人間イエス――死海写本に基づく新しい視点で』①というもので、イエスは十字架で死んではいなかったと論じた内容でした。イエスは十字架の後、意識を回復して、後になって、マグダラのマリアと結婚して3人の子をもうけるが、その後離婚してもう一人の他の女性と再婚し、老齢になってついに死に至るという内容です。
最大の驚きは、この事実と言うより虚構のイエス伝が、当時評価の高い出版社(ダブルデー社)から発刊されたという点です。このことはイエスを人間という視点で捉えようとしている今日の一般的趨勢の最も顕著な例であるといえましょう。学者や著者たちそれぞれの視点次第で、イエスは、ある場合には熱狂的な宗教家、あるいは説教家、政治の革命家、女性尊重主義者など、その他何であれ、作家の興味を持ち始めた視点で描かれてきております。
学者たちは今日まで、特に過去200年ほど、歴史上の実存のイエスとはどのようなお方であったかを調べ続けてきました。しかしその成果の大部分は学者間での情報交換に留まり、広く一般に影響を与えることは少なかったのです。しかし、現代の情報化の革命は、これまでタブー視してきたことを取り払い、どんな内容のものも、どんな人物についても、もはや立ち入り禁止の世界がなくなったのです。イエス・キリストに関する世界も同様で、他の有名人たちに対すると同じように、その分析、解剖、批判の対象とされるようになってきているのです。
本書では、マルコによる福音書の言葉を文字通りに受け留めることにしています。それは本書が、イエスに関する正確な情報を提供してくれていると信じるからです。従って、本書を研究することによって、史的イエスの正確な映像を捉え得ると信じます。
史的イエスの正確な映像、これこそは、学者並びに、知的に解放された世間一般から今日ますます求められ、チャレンジされている一つの局面です。それゆえ、他の福音書と共に、なぜマルコによる福音書が、主イエスを理解する資料として信頼し得る書なのであるかについて、考察を加えておくことは必要であると思われます。そうした後で、「福音」という語の用法を考え、更にその語がいかに、ナザレ人イエスの生き方と業との下で展開を見せているかを考察し、最後に、「神の子イエス・キリスト」という表現でマルコによる福音書を書き始めたとき、いったいマルコは何を意図していたのか、その意味を探ってみたいと思います。
マルコによる福音書の信頼性
他の三つの福音書のみならず、マルコによる福音書も以下の理由から信頼し得る資料と考えます。
1 目撃者であるという事実
ルカは直弟子の一人ではありませんでした。従ってイエスに関することは直接見聞きした人々のところに行って収集しなければなりませんでした。彼は次のように言っております。「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります」(ルカ1の1~4)。
ルカによる福音書は、二部に分けられるものの第一部に相当するもので、第二部すなわち「使徒言行録」では、彼は再び主イエスの御在世当時イエスと共に歩んでいた人々の役割を強調して次のように述べています。「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。……そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った……『主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです」(使徒言行録1の3~22)。
ヨハネによる福音書も同様、ある出来事の文中で自分がその事の目撃者であることを強調しています。「それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている」(ヨハネ19の35)。
「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている」(ヨハネ21の24)。
一方マルコによる福音書は直接的には自分が目撃者であるとしての観点を述べてはいないのですが、彼は、ある人がイエスの御生涯と御働きとを思い出しているような書き方でこれを著しています。この福音書は主イエスの語られた御言葉については比較的少ししか取り上げていません。そのかわり、主イエスの行為を一連の生き生きとした描写でもって繋ぎ合わせて見せてくれます。本書を学び進めるうちにわたしどもは、同じ出来事でマタイやルカが省いていたところを詳細に、マルコは補って示してくれていることがわかってきます。例えば、ヤイロの娘を主がよみがえらせたくだりで、ただマルコだけが主が語られた実際の御言葉である「タリタ・クム」という語を記しております。それはアラム語で「わたしは宣言します。少女よ、起きなさい」という意味です(マルコ5の41)。耳が聞こえず口の利けない人を主イエスが癒されたとき、主が使われたアラム語の言葉「エッファタ!」(「開け」の意味)も、マルコだけが記しています(マルコ7の34)。
確かに、マルコは主イエスの十二弟子の一人ではありませんでしたが、彼がこの本の中で描写しているある出来事においては、彼自身の目撃のものであった可能性が十分に考えられます。例えば、主イエスがゲッセマネで捕縛されたときの描写の中で、マルコだけが記している興味深い記録を見ます。「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が彼を捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」(マルコ14の51、52)。この出来事はマルコの経験ではないでしょうか。多分にその可能性があります。そうでなければ、この物語の中ではこの若者はある意味では何の役割も演じていないのですから、なぜマルコがこの若者のことを記述したのかの理解が難しくなります。
伝説によれば、マルコはエジプトに行き、アレキサンドリアの教会の土台を作ったといわれています。彼はその教会の主要な長老となっていたのですが、ローマの皇帝ネロによって始まった迫害下で死んだのです。
彼の福音書は、他の三つの福音書同様、ただ目撃証人者だけが提供可能な生き生きとした内容と詳細な注意力とが見られ、正真性を確信させる一連の事柄を伝えています。その内容からすると、マルコによる福音書は、そこにいた人か、そうでなければ少なくともそこにいた人から直接聞いた人によって生まれ出て来た書といえるのです。
2 その史実性
紀元2世紀の初頭の頃、小アジア地方のヒエラポリスの監督であったパピアスは、諸福音書の起源に関する情報を収集しました。使徒たちの内の誰かを知っている人に会ったときには、いつでも彼は忠実に勤勉に、アンデレとか、ペトロ、フィリポ、トマス、ヤコブ、ヨハネ、マタイ、あるいは、主のその他の弟子たちが何を語り何を為したのかを尋ねたといわれております。このようにしてパピアスは、5巻からなる「主の御託宣についての一つの解説」という表題の書を著しました。
この書は紛失してしまって、今は見られないのですが、他の人々の著述にその断片の引用が散見されます。初代教会の教会史家であるエウセビオスの著書の一つ『教会史』の中に、マルコによる福音書に関して、パピアスの書からの引用文があり、次のような内容です。
「マルコは使徒ペトロの通訳者となり、また、主イエスの言われたこと、為されたことについて彼が記憶していることのすべてを、必ずしも整然とではなかったが、しかし正確に書き表した。マルコは主イエスに直接耳を傾けて聞いたわけではなかったし、主に従って歩んでいたわけでもなかった。しかし、前にわたしが言ったように、彼は使徒ペトロに従って歩むようになり、そのペトロは主の述べられたことを必ずしも順序正しくではなく、必要に応じて教えることを常としていたので、マルコが記憶していたこととして、このような形で整然とではなく書いたとしても彼は何も間違いを犯したわけではなかった。というのは、彼が注意力を傾注したことと言えば、それは彼が聞いてきたことは何一つ欠けることのないようにすることと、それらについて誤りなく叙述することとであったからである」②
このようなキリスト教会史のごく初期の頃からの声は、マルコによる福音書の信頼性を確証づけるものです。「マルコは何も間違いを犯してはいなかった」とのコメントは、すなわち、彼は誤りを犯してはいなかったということです。パピアスの言う、「ペトロがマルコによる福音書の源資料であった」とする点は、本福音書自身の記述にも符合しています。すなわち、ペトロがマルコによる福音書の中で登場してくるときは、とりわけ生き生きと描写されています(マルコ1の36・8の33など)。興味深いことには、ペトロ自身がその手紙の中で、マルコを自分の「子」と呼んでいます(ペトロ一 5の13)。
3 日付記入からの事実
1985年のこと、主に米国からの参加でしたが、福音書の背景にある真実のイエス像を見いだすという目的で、「イエス・セミナー」の名のもとに自薦の74名の者たちがさまざまな神学校や大学から集まって来ました。ロバート・ファンクとジョーン・クロッサンが共同の発起人となり、彼らが確信していたことでしたが、1世紀以来主イエスを取り囲んできていたさまざまな神話を取り除いて、歴史上の実際のイエス像を浮き彫りにしようとの試みでした。彼らは最初から、奇跡と呼ばれるどんなものも捨て去ったのです。すなわち、誰も病気の人々を癒すことができないし、どんな死人(イエス御自身をも含む)も蘇生することはないとしたのです。
そのセミナーは、イエスが語られたとする1500の言葉を取り上げ、そのおのおのにつき分析し、それから、その言葉が果たしてイエスの語られたものかどうか、あるいは少なくともそうらしいと考えられるかどうかにつき、色つきの玉を用いて票決をとりました。ピンクの玉は主がおそらく語られたのだとする賛意のものであり、灰色の玉は、主がそう言われた言葉ではなかったが、その内容は主の思想と似ているとするもの。そして黒の玉は、まったくそのようには語られなかったとする意味のものでした。
その結果はこうでした。福音書中の主の言葉とされているものの82%は、主イエスが実際に語られたものではないし、残りの18%も殆どが疑わしいもので、わずかに2%だけが主の言葉として信頼できるということでした! 主の祈りの部分がセミナーで投票による再検査を受けたとき、信頼できる主の言葉として残されたのは、なんと「われらの父よ」の部分のみでした!
疑いもなく、その「イエス・セミナー」は、今日まで、多くの神学者たちから鋭い批判を浴びてきております。しかしながら、マスコミはその票決結果を取り上げ、それを広く大衆に出版し公表しました。このことは、そのセミナーの利益になるように働いたのですが、もともとそのセミナーは学問の世界に寄与するというより、むしろ一般社会に広く働きかけることを意図していたように思われます。
その「イエス・セミナー」の効果は絶大で、信頼できる資料としての福音書に対する信頼感を弱め、従って、そこに描かれているイエス像への信頼が弱体化されたのです。しかしながら、この「イエス・セミナー」の結論づけは、過去から現在に至る他の学者たちからの同様の結論と共に、大事な一点を考慮してません。すなわち、「時」という要素です。
四福音書の信頼性に関するいかなる見方があるにせよ、神学者たちは今日、それらをすべて1世紀内に位置づけております。マルコによる福音書は60年代初期、マタイとルカによる福音書は70年代、80年代内に、そしてヨハネによる福音書は90年代内というように。ある学者たちはマタイ、マルコ、ルカによる福音書を年以前に位置づけております。といいますのは、もしそれ以後に書かれたとするなら、紀元年の出来事であったエルサレム滅亡のことが、もっとはっきりと言及されているに違いないと考えるからです。
いくつかの理由で、多くの神学者たちは、マルコによる福音書は、四福音書の中で一番最初に書き表された書であるとしています。マタイとマルコによる福音書には多くの共通資料が見られ、ある場合には言葉使いさえも同じであるところが見いだされる点が指摘されています。実際、マルコによる福音書の中で、マタイ、あるいはルカによる福音書に見いだされない節を数えてみれば、31節しかないのです。しかし「マルコによる福音書優先説」に関する賛否の論議は複雑ですし、この論議は本書におけるわたしたちの関心事ではありません。要は、学者たちはマルコによる福音書が書かれたのは非常に早い時期、すなわち、遅く見積もっても紀元60年代には書かれていたとしている点です。
このことは、マルコによる福音書は主イエスの働かれたとほとんど同時代に位置づけられることになり、もしその内容が、上述の批評家たちが主張しているように、広範な誤謬があったのだとすれば、かなり多くの人々がその誤りを指摘し得たことになります。
マルコによる福音書には、主イエスによる数多くの力ある御業が記述されております。目の見えなかった人が見えるようにされたことや悪霊を追い出し、耳が聞こえず口が聞けない人の癒し、大群衆の養い、死人のよみがえり、その他主イエス御自身が復活して墓を空にされたことなどです。もしこれらの記述内容がうそ偽りであったのなら、「いや、それはまったくのでたらめだ! わたしたちは、ガリラヤのナザレでイエスを見て知っている。彼は奇蹟など行ったことはなく、水の上を歩いたなどとは荒唐無稽である。それに彼の遺体をエルサレムの洞窟で見いだせるはずだ。彼に関して書かれているこれらの物語はすべて無意味である」と言って、新しく勃興していたイエス・キリスト信仰の運動を死に追いやることはどんなにか容易なことであったでしょう。
しかし、もしもマルコによる福音書がもう1世紀遅く書かれたのであれば、今日、その批評家たちはより説得力ある議論を展開し得たことになるでしょう。主イエスの弟子たちがイエスの物語を虚飾したのだとする批評家たちの仮説を、わたしたちは厳密に検証してみる必要があります。イエスの言葉だとされているものは、大部分イエスによるものではなく教会が生み出したものとする仮説です。しかしそうではなかったのです。マルコによる福音書は、主イエスが十字架で死なれて後30年そこそこで書かれたのです。ですから、起こったとされている出来事にあまりに近い時に書かれたものでありますので、批評家たちのいう仮説に信任を与えることはできないのです。
さて、ここにもう一つのことをあげることができます。
4 初期のキリスト者礼拝からの事実
フィリピの信徒たちに宛てた使徒パウロの手紙の中で、パウロは突然歌いだしているように思われます。新国際訳はパウロの言葉の詩的表現を以下のように訳しています。
「あなたがたの生き方は
キリスト・イエスのそれと同様であるべきです。
すなわち、
この方は、本質においてまさに神であられましたが、
御神と等しい者であるとは考えることなく、
つまりそのように見られることに拘ることなく、
かえって御自身をむなしくし、
すなわち、まさに仕える者としての立場をとられ、
人間と同様になられたのです。
そして、人間として現れられたとき、
御自身をへりくだらせ
そして死に至るまで従順となられました。
しかも十字架上での死に至るまでにです!
それゆえ、御神はこのお方を高められたのです。
最も高いところまでに。
そしてこのお方にその名をあたえられたのです。
それはどんな名よりもまさる名です。
すなわち、イエスという御名に対し、
すべての膝がぬかずくべきであるとして、
天上でも、地の上でも、地の下でもです。
そして、すべての舌がイエスこそがと言い表すのです
キリストは主であると。父なる御神の栄光となるために」
(フィリピ2の5~11)
実際はパウロは歌っていたのです。さもなければ初期キリスト者の讃美歌を引用していたのです。テモテへの手紙一の3章16節にもあるように、彼が同様のことをしていることを他のところでも見いだせます。
しかし、ここでもう一度フィリピの信徒への手紙2章5節から11節を見て、このキリスト教会の初期の非常に早い時期に歌われていた讃美がどんなことを歌っていたかを注意してみてください。
1 主イエスはその本質において御神である。
2 彼は御神と等しいお方であられた。
3 彼は真の人間となられた。
4 彼は十字架上で死なれた。
5 御神は彼を最も高い地位に引き上げられた。
6 彼は主であられる。
パウロはフィリピの信徒への手紙を紀元62年頃に書きました。そしてその中に当時の信徒たちがよく知っていたに違いない讃美を引用しました。このような歌が形成され、フィリピの教会に広まるようになるまで、いったいどれだけの時間を必要としたことでしょうか? わたしたちには知るよしもありませんが、しかし恐らく5ないし10年の歳月を要したと考えても良いのではないかと思われます。もちろんもっと短いかもしれませんが。
わたしが言わんとしていることは次のようなことです。すなわち、キリスト教会の非常に早い時期において、主イエスを真の御神として礼拝していたその信奉者たちは、主の受肉を信じ、その十字架上での死を宣言し、しかもこのお方はよみがえられたのであることを大胆に確証づけていたということです。このことはわたしにとって非常に重要です。
ここには二者択一の道があります。すなわち、一方では、あの「イエス・セミナー」や他の批評的学者たちが論じているように、イエスはもはや人間以外の何者でもないこと、従って奇跡を行うことはなく、他の人々同様に死んでいった一人の教師であったとする立場です。マルコによる福音書に見る描写は、当時の教会によって創作された神話を反映していると、彼らは主張します。仮にそうであるとしたら、これらすべてのシナリオを生み出すのにいったいどれ程の時を必要としたのでしょうか? 彼らがそのために必要としているよりはるかに多くの年月を必要としたことでしょう!
もう一つの立場はこうです。主イエスの復活は、またその信奉者たちに主が語られたもろもろの御言葉や奇跡の御業は、この御方がまぎれもなく受肉された真実の御神であられることを指し示していたのであると。短時間の内に彼らはこの御方を御神として礼拝し始め、あらゆる存在の主としてのこの御方に対してもろもろの讃美歌を作り始めたのです。かくして、他の福音書と同様ではあるが、マルコによる福音書は、決して新しい宗教の創作によるものではなく、あのガリラヤ人と共に起こった実際の出来事の正確な報告書なのです。
わたしには、いわゆる「神の人」と呼ばれていたある人たちとの出会いがありました。(わたしがインドに住んでいたこともあり、それは別々の機会にではありましたが)彼らは神の化身と呼ばれていた二人の人物です。アーメッドナガールのメハル・ババ(Mehar Baba of Ahmednagar)とプーナ(後のオレゴンのアンテロープ)のライニーシ(Rajneesh of Poona)です。両者共、国際的に人々を引きつけ、敬われていました。両者共に神の力を持っていると主張しておりました。
しかし両者は共に、死にました。
そして両者は共に、今はいません。
20年経った今、両者を讃える歌を歌っている会衆を見いだすことはありません。彼らの宗教運動は彼らの死と共に終わりを告げたのです。
しかし、マルコによる福音書は今でもイエスについての正確な忠告をあなたに告げ知らせるのです。
最良のニュース
マルコによる福音書は小さな頭文字の「福音」という語で彼の福音書を始めます。③通常「福音」と訳されているギリシャ語の「ユーアンゲリオン」は、実際は「最大のニュース」という意味です。それには興味深い歴史的物語がその背景にあります。
この言葉自体は歴史を大変古くさかのぼります。ホーマーのオデッセイの中で、この言葉は「よい知らせに対する報酬」を意味してましたが、後にはその報酬が省かれ、特に戦争の勝利に関する「よい知らせ」を意味するようになりました。
「『ユーアンゲリオン』は、『勝利の知らせ』ということの専門語です。伝令が現れると、彼は右手を上げて挨拶し声高に叫びます、『カイレ ニコメン』(『喜んでください。わたしたちは勝利しました』)と。彼が現れたときにはすでに彼はよい知らせを伝達に来たのであることが知れ渡ります。彼の顔は輝き、彼の持っている槍の穂先には月桂冠があり、頭には冠が、そして彼はしゅろの枝を振っています。喜びが町全体に満ちて行きます。『ユーアンゲリア』(『もろもろの犠牲』)がささげられ、神殿は飾られ、『アゴン』(『集い』)がもたれ、犠牲の献げものに冠をかぶせ、そしてメッセージを受ける人が花輪の冠でもって栄誉をうけるのです」④
紀元1世紀の中で徐々に皇帝礼拝(ローマ皇帝を神として礼拝)が推し進められるようになっておりました。そしてこの「ユーアンゲリオン」という語がこの礼拝と結びつけられるようになりました。人々は、世に平和をもたらす新しい時代がきた、そしてそれはあらゆる国民に対するよい知らせすなわち福音であるとして、皇帝が王座に上り即位するのを祝いました。彼の死に際しては、天にはしるしがあり、それは彼が神々の一人に叙せられたことを告げていたということになったのです。
しかしながら、キリスト者たちがこの「ユーアンゲリオン」という語を用いた時、それは皇帝に関係してではありませんでした。彼らにとっては、それは他の個人、すなわち、貧しく生誕されたお方、十字架で殺され世からは見捨てられた一人の教師、しかし、死から蘇生したお方をこそ意味したのです。「福音」、それは勝利についてのよい知らせを意味したのですが、それは罪と死と墓に対する究極的な勝利を意味したのです。
このよく知られていた言葉の周りにはなんと驚くべき歴史の潮流が渦巻いていたことでしょうか! 皇帝とキリストとは多くの点で共通しているところがあります。両者とも救世主として称えられました。両者とも肉体をとった神として礼拝されました。しかしながら、両者は異なった世界に属しております。もしも皇帝の誕生と即位とが「よいニュース」であったのなら、イエスの人生と死と復活はそれよりはるかに勝った、まさに「最良のニュース」であったのです!
皇帝に対しての古代ギリシャ語の用法からイエスに対する用語となるまで、「ユーアンゲリオン」という用語は少しずつ進展しておりました。イエスに関する書き物が現れ始めて、おそらくマルコによる福音書が最初にこの用語を使ったのではないかと思われます。福音書はいわゆる一般に言われている伝記ではありません。なぜなら、福音書はわたしどもが通常、伝記に期待しているような詳細な情報が欠落しているからです。例えば、イエスがどんな容貌をしておられたかとか、その生き方の多くがほとんど無視されているか不十分な情報でしかありませんし、あるいは全く何も語られていないという状況です。ヨハネによる福音書同様、マルコの場合も、イエスの誕生や青年時代に関しては全く触れられておりません。その代わり、四福音書記者たちは共通して、その焦点を主イエスの三年余のいわゆる公生涯にあてております。しかも、その中でも主の受難週に不釣合いに多くの紙面を用いております。更にいうなら、四福音書共、単なる年代記でも報告書でもありません。それらは信仰書として息づいております。ヨハネは彼がその書を書いた目的を次のように明瞭に述べております。
「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであることを信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(ヨハネ20の30、31)。
驚くべき形でナザレのイエスはこれらの書物を支配しております。それらの書は主イエスに関するよい知らせ以上です。実にこの御方御自身がまさに福音であり、よい知らせなのです。このようにして、時の経過と共に、これらの書物自体が「福音書」として知られるようになったのです。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネだけが、福音書を書こうと試みたわけではありません。思い出してください、ルカは語っています。彼がルカによる福音書を書く前にすでに「多くの人々が」そのような試みをしていたことを指摘しております(ルカ1の1、2)。今日、それらの書が残っておりませんので、紀元1世紀に書かれた他の福音書がいったいどんな内容のものであったかはわかりません。わたしたちの知る限り、四福音書の記者を導いた聖霊が、同様に、どの福音書を生き残るようにし、どの福音書を新約聖書の中に入れるようにするかを指揮されたのです。
主イエスに関する事柄があまりにも人を引きつけて止まないことでありましたので、紀元1世紀を超えた時に至ってなおも、他の福音書と呼ばれるものを生みださせたのをわたしたちは知っています。それらの書は十二使徒の内の誰かの名を用いて、人々の信頼性を獲得しようとしたのですが、もちろん偽物です。といいますのは、その時には、使徒たちはすべて亡くなってしまっておりましたから。そのような「福音書」の中には、しばしばある種の奇妙な考えが内包されておりました。たとえば、その一つには、子供のイエスは母が読み書きを教える前からアルファベットをすでに知っておられたとか、イエスが粘土で鳩を何羽か作り、それらを空中に放り上げると、彼らは飛んでいったという内容です。トマスの福音書(使徒トマスによる書ではない)は、主が語られたとする愚かな言葉からなっています。婦人は、もし天国に入りたければ、男にならなければならないと、主が言われたという言葉で終わっています!
「福音書」ということに関してもう一言。賞賛するということの最上の形は真似るということだと思います。2世紀の終わり頃、主イエスについての物語が遠く広く波及し、キリスト教がギリシャやローマの古来の神々に挑戦し始めるに及んで、異教世界はティアナのアポロニウスという人を題材とした対抗「福音書」を生み出しました。彼は前世紀より奇跡を行う人とみなされていてキリストに拮抗する人物として取り上げられたのです。しかし、その福音書はアポロニウスの生存した時よりだいぶ後になって書かれたということもあってか、社会的に衝撃を与えるには至りませんでした。いったいどのようにしてそれが可能だったでしょうか? そうです、ただ主イエスのみが昔いまし、今います変わることのない御方なのであり、そして唯一の真実の福音なのであります。
神の子
マルコによる福音書全体を通して、弟子たちは主イエスがいったいどなたであられるのかを捉えることに失敗しているのを見ます。確かに彼らは常に主の傍ら近くにいて主の力ある御業を観察し得たとはいえ、それらの出来事が示していた結論的な事柄に盲目であったように思われます。
時としてわたしたちも愛する者たちや友人たちにあまりに近すぎたため大局を見れない、そして彼らがいったいどのような人なのかを見ることができないでいることがよくあります。遠くに行ってしまうか亡くなってしまうかにより、その人たちがわれわれの視界から消えてしまった時になって初めて、目を覚まされたようになって、すぐそこにあった宝に気づくようになるのです。
マルコはしばしば、主イエスが癒された人々に、主が癒されたことを自分たちの胸の内に隠しておくようにと言われ、公になることを避けるために注意深く努められたことを記しています(マルコ1の43~48・5の42、43)。ある注解者たちは、主イエスのそのようなやり方は実際は心理学的に逆の効果を狙ったやり方であって、人は禁じられるとしたくなるという傾向を逆手に取った行動であったと言います。しかし、このような解釈には無理があるように思われます。わたしが考えますに、真実は、主イエスが意図的にメシアに関する一般的概念(メシアとはローマのくびきからユダヤ人たちを解放する人という概念)を回避しようとされたのであり、主イエスにとっては明らかであった御自分の奇跡の御業の数々が引き起こすであろう一般大衆の興奮を抑制しようと心から願われたのです。
ですから、マルコによる福音書では特に、主イエスのメシア性は秘密にされております。おそらく、このような主がたどられた一連の歩み方は、弟子たちをいたく困惑させたのです。なぜならマルコによる福音書はしばしば(読者に)告げております。彼らは理解しなかったと(たとえば、マルコ4の13、41・6の51、52・8の17~21)。弟子たちは主イエスのみそば近くおりましたが、主を真実に捉えることはできませんでした。復活された後になってのみ、可能となったのです。
しかし、マルコはわたしたちに理解させたいのです。彼はその冒頭の言葉で主イエスは「神の子」であると語っています。ナザレのイエスについての単なる報告ではなく、彼はわたしたちにこれらの出来事の意味している重要性を直ちに知らせたいと願っているのです。すべての物語はただ一つの結論、すなわち主イエスは神の子であるという一点を指し示しているのです。
マルコによる福音書においては、他の三つの福音書同様、イエス御自身のよく用いられた御自分を表す呼称は「人の子」です。しかし、その他の場合では、マルコによる福音書の冒頭で彼自身によって与えられた「神の子イエス」の焦点を徹底して認識させようとしております。
2度、父なる神様はイエスが御自分の子であると宣言なさっておられます。すなわち、主の受洗の時(マルコ1の11)と変貌の山においてです(同9の7)。
また、悪霊は叫んでいます。「あなたは神の子だ」と(同3の11。5の7をも参照)。これは実に皮肉なことです。人々も弟子たちさえも、イエスがどなたであられるのかを認識することに失敗していた時に、悪霊たちはそれを知っていて、主をそれと認めたのです。
かつて一度、単純に御自身を、御父に対する子と呼ばれたこともありました(同13の32)。
受難週での裁判の場で大祭司が主イエスに質問しております。「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と(同14の61)。それへのお答えは、「そうです」(同62)でした。
最後の方で、十字架の場で見張りをして立っていた百人隊長は、主イエスがどのようにして死んでいったかを目撃した時、次のように言わざるを得なかったのです。すなわち「本当に、この人は神の子だった」と(同15の39)。
しかし、彼の冒頭の言葉でマルコは厳密にはいったい何を言いたかったのでしょうか? 神が受肉されたが故に、イエスは神の子であるというのでしょうか? それとも新約聖書の中では、もちろん、至る所で現れてくるこのタイトルは、何かもっとより深い意味づけがあるのでしょうか?
御神は万人の御父であられるから、わたしたちは皆、神の子たちであり、神の息子、娘たちです。しかし、主イエスの場合は、はるかに異なった意味で「子」なのです。主イエスに対する「神の子」と呼称するマルコの用法は、わたしたちの誰もが主張できない神との近似性という点の強調を暗示しているように思われます。御神が聞こえるように天から主イエスに「わが愛する子」と呼びかけられる時、それは非常にユニークな関係を際立たせております。
新約聖書の中ではどこでも、「子」という用語は鍵となる言葉です。たとえば、ヘブライ人への手紙1章の1節から4節では、御子に関して三つの驚嘆すべき証言をなしております。第一は、御子は御神の御栄光の反映です。反映と訳されているギリシャ語の「アパウガスマ」という語は光線、輝いている光線、あるいは輝きわたるなどを暗示しています。いろいろな訳を見ると、光輝(新国際訳、effulgence)、さん然(英語欽定訳、brightness)、反映(改定標準訳、reflection)、輝き(フィリップス訳、radiance)となっております。この描写は、御子が永遠から輝いていたあの栄光の世界へとわたしたちを持ち上げてくれます。近づき得ない御光の中に住んでおられて、主イエスはもろもろの光の中のまさに御光りであられるのです。
御子はまた「神の本質の完全な現れ」(ヘブライ1の3)であられます。ここで用いられている比喩は印鑑とそれを蝋の上に捺すという概念です(「現れ」と訳されているギリシャ語の言葉は「カラクテール」で「刻印」「印像」「銘刻」などの意。訳者注)。ここでの用語は、これから「品性」という語も派生していますので、御子は、御神の本質的御性質のまさに印像であるということをわたしたちに語り告げております。御神がどのようなお方であるかは、御子がどのようなお方かということになるのです。
しかし、御子の栄光の反映と神性とには更につけ加えて考慮されるべき一点があります。それは「である」という点です。「となった」のではなく、そのような「存在」であられるという点です。永遠に御子は光の中の御光りであり、神の反映であられます。この御方は、常にそうであられたし、永遠にそのように存在されるのです。
父と子という語は、わたしたちの理解に誤解を与える可能性があります。明らかにこの用語は時間的なことと起源ということとに関連づけさせます。すなわち、子は父から生じるので、父は子に先立って存在していると。しかし、主イエスが永遠に御子であられるというとき、それは御父から派生したことを意味しません。父と子ということの聖書的用法では、時間や起源ということではなくむしろ、子である御方の父なる御神とのその共有性や同一性や本質的には神性を有していることなどを指し示しているのです。ですから、ユダヤ人たちはこの用語を以上のように理解していて、主イエスが御神を御自分の父と呼ばれた時、彼らは「御自身を神と等しい者とされた」(ヨハネ5の18)として、主イエスに神性冒涜の罪を着せたのです。
キリストの永遠の存在性と神性についてのエレン・ホワイトの陳述も同様の理解であることを示しております。「キリストのうちには、借りたものでもなければ、ほかから由来したものでもない、本来の生命がある」⑤という彼女の表現は何度も引用されてきた文章ですが、その重要性という点では、次の文も決して劣るものではありません。
「御子は見えるようにされた十全の御神であられる。神の御言葉は御子をして、『御自身の本質の反映である』と宣言している。……キリストは先在の、しかも自存の神であられる。……御自身の先在性について語られて、キリストはそのお心を無限の時へと思いを馳せられる。この御方は、永遠の御神と密接な関係がなかったような時は一度たりともなかったのであることをわたしたちに確証づけられる。ユダヤ人たちが耳を傾けて聞いていたその御声の主は御神と共に在った御方であられた。……彼は永遠のしかも自存の御方であられる。神の御言葉は、この地上におられるときのキリストの人間性について語っているが、それと同時にその先在性に関しても明確
に告げ示している。その言なる御方は神性な存在であり、永遠に御神の御子でさえあり、御父と共に共同体にして一つなる、実存であられた」⑥
永遠の御子であることを確証づける一方、エレン・ホワイトは、御子の受肉は、この御方をして異なった道への歩みをもたらしたことを語っています。「人の子であられる一方、彼は新しい意味で神の御子となられた。このようにして彼はわれわれの世界に立たれた神の御子であられたが、しかし、人として生誕なさることにおいて人類と結合されたのである」⑦
これこそが福音の始まりなのです。すなわち、イエス・キリストは神の御子なのです。御子は、神性な御存在であり、かつてもそうであったし、これからもそうであるのです。実に神性なる御方がわたしたちの間に住まれるためにこの地上に来られたのです!
参考文献
① Barbara Thiering, Jesus the Man: A New Interpretation From the Dead Sea Scrolls.② The Seventh-day Adventist Bible Commentary, vol.5, pp.563, 564を参照。英語欽定訳聖書では、The gospel of Jesus Christ……のように小文字のgを用いている。訳者注
③ Theological Dictionary of the New Testament, vol.2, p.722.
④ 『各時代の希望』中巻、p.345, 346
⑤ Evangelism, pp.614, 615.
⑥ Selected Messages, book 1, p.227.