第3章 闘争の人(マルコによる福音書2章23節~3章35節)
文字化されて描かれているイエス像のほとんどのものに、わたしは問題を感じています。主イエスは柔らかな人に過ぎ、しかも軟弱にさえ描かれているように思えます。これらの傾向ははるかに遡って始まった伝統です。恐らく、修道院生活の時代にその端を発しているものと思われるのですが、この世から隔離され、祈りと瞑想に没頭していた修道僧たちが、自分たちのような青白い様相にならって主イエスの肖像を描いたとき以来であると考えます。
しかし福音書中の主イエス、そして特にマルコによる福音書に見る主イエスは、決してか弱い性格の御姿ではありません。ほとんど戸外で生活されておられたので、日焼けしておられたに違いないし、きつい肉体労働で鍛え抜かれた筋肉をもって、荒縄で作った鞭を振るった時には、主は容易に神殿から商人たちを追い出すことができたし、また両替人たちの台をひっくり返すこともできたのです。わたしたちは主イエスを、御自分の言葉や行為について宗教指導者たちとしばしば議論を繰り返しておられる御方として見ています。彼は闘争の人です。
「お優しく、そして従順で柔和なイエスさま。
どうかこのいと小さき子供である自分に
目をとめてください……」
このような祈りはまことに愛らしいものですが、しかし誤解を与えがちです。主はまさに優しくあられますが、それは羊飼いのように御自身の群れを導かれ、その腕に子羊を抱いて運ばれるような御方であるという点で優しい御方であられます(イザヤ40の11)。そして確かに従順でもあられますが、この御方の場合、それは決して玄関マットのように踏みつけられるままになるということではなく、自己を虚しくして野心を放棄しておられたという意味において従順であられるということなのです。しかし「柔和」はどうでしょうか? おとなしい? そんなことはありません。おとなしい主イエスでありましたなら、本章に見られるように、当時の宗教や政治の当局から、その働きの当初より、どのようにして殺そうかといった暗殺計画を立て始められるようなことはなかったでしょう(3の6)。おとなしいイエスであれば、カルバリーで御自身の命を葬り去られて終わりを迎えてしまうようなことはなかったでしょう。
マルコによる福音書の2章、3章全体を通して、その主要な主題は闘争です。わたしたちはすでに、屋根から吊り下ろされた中風の患者に対し罪の赦しを宣言されたことにおいて(2の6、7)、またレビ・マタイが開いた食事の席に出席したことにおいて(16節)、更にまた御自分に従っている者たちに断食をするようには勧められなかったことにおいて(18節)、律法の教師たちと厳しく戦っておられる主イエスを見ております。今や更に、主イエスが当面された四つの戦いの出来事を学んでみることにしたいと思います。
まずは、弟子たちが安息日に麦の穂を摘んで食べたこと(2の23~26)。それから、安息日に手のなえた人を癒された出来事(3の1~6)。そして主イエスが悪霊の仲間であると非難された出来事(3の22~30)。もう一つの出来事は、御自身の家族内での緊張関係です(3の20、21、31~35節)。
安息日に関する闘争
四福音書は、安息日における7つの主イエスによる癒しを記録しております(マルコ1の21~28・1の29~31・3の1~6・ルカ13の10~17・14の1~4・ヨハネ5の1~15・9の1~41)。いずれの場合も主イエスは誰かを癒しておられます。しかもいずれの場合も、癒された人たちは緊急な病気ではなかったし、どうしてもその日でなければならなかった状態でもありませんでした。
その上、主イエスの安息日の癒しは、いずれも公衆の面前で、しかもある場合にはそれらを律法の教師たちが見ている前であえてなされました。言語道断な安息日遵守破壊と彼らがみなしていた出来事を目にして、当然のことながらこれらの教師たちは激しい怒りを抱くようになり、主による奇跡の癒しからしばしば激論へと展開していったのです。
主がもし意図して別な道を選ばれれば、多くの争論を避け得たことは否定できません。安息日が過ぎるまで待たれたり、あるいはその病人を脇へ連れ出し人々の見えない場で個人的に癒しを与えたりなさることもできたはずです。しかし明らかに主は、癒しのためわざわざ安息日という日を選ばれ、安息日とそれに対する御自分の関係とをもって、御自分の使命の明快な特色とするように意図されたのです。
わたしたちは、主イエスの行為と御言葉とを、安息日との関係において注意深く観察する必要があります。なぜ、主イエスは、御自身の使命を達成するにおいてあのような道を取られたのかを、理解しようと努めなければならないのです。そしてわたしたちは、決して護教的にではなく、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」(テモテ二 3の16)たものであることを心に覚え、しかも、それぞれの部分は互いに光を分け与えることを覚えて、聖書全体が証言している光に照らして、主の行為と御言葉とを振り返って検証してみなければなりません。
多くのクリスチャンたちは、これらの主の行為を見て、単純に、主は安息日を廃棄されたのだと考えます。しかし、これらをもってそのように見なすことは、聖書を研究することも、当時の歴史的背景をも学んでいない証拠で、全体像は全く正反対であることを示しております。主イエス御自身言っておられます。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」(マタイ5の17、18)と。元来安息日という律法は人間の堕落以前に存在しており、その制定は救いとの関係から後で与えられたものではなく、天地創造に根ざしております。創造主である主が安息日の制定者であり、主は我々の救い主です。その主が安息日問題でこのように確信犯的に戦ったのです。ですからその安息日は、ユダヤ人にとっての意味もさることながら、それ以上にもっとわたしたちすべてに意味があったはずです。その意味は、決して彼らに対するより優るとも劣ることはなかったはずです。
安息日に関しての主イエスの宗教指導者たちとの戦いでは、安息日を遵守すべきか否かとか、どの日が安息日かなどといったことは一度たりとも問題視されてはおりません。何が論点であったかといいますと、人はそれをどのように遵守すべきかという点にありました。御言葉と御業とによって、主イエスは、安息日の周りを長いこと取り囲んでいたさまざまな伝統的慣習をぶち壊し、律法学者たちにとっては極めて不愉快なものではありましたが、この安息日を新しい枠組みの中へと組み込んで行こうとされたのです。そしてこうしたことが、今度はひるがえって、主イエスの権威ということに、その焦点が向けられることとなりました。いったいこのようなことをする彼は誰なのか、そしてラビたちの諸規則を廃棄するとはいったいどんな権威でそれを為すというのかといったことが、安息日に関する論争の背景下での真の問題となったのです。
ユダヤ人たちにとっては、安息日は、恐らく、神への忠誠心を示す最上の論証でありました。この時代よりも少し後のこと、一人のラビは、もしもすべてのイスラエル人が安息日を2倍守ったなら、メシアは来られるだろうともいいました。ですから、律法に忠実であろうとしたファリサイ人たちはもとより、ユダヤ人一般は、主とその弟子たちの安息日破壊と見える行動によって、気が動転させられる思いであったのです。宗教指導者たちは、出エジプト記20章の8節から11節の安息日の律法を、一組の複雑な宗教習慣へと緻密に作り上げておりました。この律法の周りを囲んでいたこれらの「障害物」は、当時は伝承の形でのみ存在したのですが、後世、ラビたちは安息日に関係した一般の仕事、旅行、食事の準備や食べることなどの生活活動として、39に類型分けして法典にしました(タルムードの中の安息日という項目)。
ファリサイ人たちは、主イエスとその弟子たちが麦畑の中を通って行かれるのを見ていたのですが、それは、決して許される範囲内での道行きではなく、安息日に禁じられている旅行に相当するものであると見なしました(マルコ2の23)。その上弟子たちが、実った穂を摘み、それを手で揉んで食べ始めたことは、収穫ということと食べ物の用意の仕方ということで、安息日の律法を犯したと彼らは考えたのです。
彼らの批判に対し、主イエスは啓発を与える応答をしておられます。初めは、主イエスは他の人によってなされた「罪」を正当化しているようにさえ見受けられます。主はダビデとその供の者たちの例を引用されます。彼らは、祭司たちだけしか食べることが許されていないパンを食べたというあの出来事です。それから次のように付け加えられました。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(27節)と。
このお言葉によって、主イエスは、革命的に安息日の目的についての新しい方向を示されました。律法の教師たちは、安息日の律法を喜びとさせるどころか、かえって重荷とさせてしまうような、数多くの細目でもって、妨害してきていました。主イエスは、肉体的にも精神的にも霊性の面でも、人々を縛り付けているその束縛から、男女を解放するため世に来ておられました。明らかに、その論争の過程で、主イエスは、安息日にまつわる伝統といわれている手かせ足かせに挑戦しておられたのです。
その御言葉があまりに単純でありましたので、わたしたちは、その御言葉がもたらしている革命的な変化を把握するのにしばしば失敗しております。旧約聖書では安息日を、「わたし(神)の聖なる日」(イザヤ58の13)と呼んでいます。しかし今や主イエスは、その日を人間の日としておられます。それは今なお、神の日、すなわち神の聖なる日なのですが、しかし同時に、それはわたしたちのものでもあります。すなわち、喜ぶべき日、自由の日、賛美の日、祝福の日なのです。
しかしそこには、更にそれ以上のことがあります。主イエスがダビデとその供の者たちのことを持ち出されたのは、表面的には、誰かが規則を破ったということを引用してのやや不十分な弁明と見えますが、そのような考えをはるかに超えた理由づけなのです。ダビデに関係した引用の要点は、油注がれた未来の王であったにもかかわらず、ダビデとその供の者たちとがサウル王の怒りから逃亡していたのは、実は使命を帯びていてその途上にあったのだという点です(サムエル上21の1~6を参照)。空腹であったのと先を急いでいて、彼らはノブの平野の神の天幕にやって来て、食料を求めたのです。その幕屋の祭司のところには、食料としては、ちょうど新
しいパンと取り替えられておさがりとなっていた、献げられた古いパン以外にはありませんでした。通常、そのお下がりのパンは祭司しか食してはならなかったのですが、ダビデと供の者たちの是非もない必要の前に規則は無視されたのです。
そして同様に、主イエスは弟子たちとともに使命の途上にありました。その使命を遂行するため彼らは安息日にも旅をしています。それは、宗教の教師たちによって規定された安息日の旅行範囲の枠を乗り越えたのです。穂を摘んで食べたことについても同様です。弟子たちは空腹でした。使命を帯びた主イエスと行動を共にした弟子たちにとっての、そのもろもろの必要性は、ラビの規則を無効にしたのです。
しかし、真の問題は主イエスのことであって、安息日ではないのです。安息日問題は単に、真の関心事に鋭く焦点を合わせさせるための表面的論議に過ぎなかったのです。このイエスについてはどうしたらよいでしょうか? この人は安息日の理解に新しい方向付けを与える権威を持っていると言えるのでしょうか? 安息日遵守に関しての、伝統的規則を廃棄することを正当化できるような使命を有していると言えるのでしょうか?
このすぐ後に続いて記録されている出来事(3の1~6)は、あたかもかみそりの刃のような鋭さで、イエスに関する決定をもたらしております。その場面は会堂内です。当時も今も、会堂は、ユダヤ教の宗教制度下で、もっとも普通に、その用に供せられてきている場です。主イエスは、そこで説教し当時の宗教に対峙されます。御自身の主張とメッセージとをもってその宗教に対決しておられます。そこで問われたことは、安息日に病人は助けを受けるべきか否かではなく、すなわち人道的な助けを与えることの是非ではなく、主イエスの行為の正否です。それらの行為は是か非か? そして彼がどのような存在であるかの明快な主張となるそのメッセージは、信頼できるものなのか否か?
「神の御国は近づいたことについてのイエスの緊急の働きとメッセージとが、ここでの物語の前後の背景下にあります。マルコによる福音書3章1節から2節は、主を批判している者たちは、主がこれから為すであろうことにすでにして、疑念を抱いていたのであることを暗示しておりますし、他の福音書にも、イエスによる安息日での癒しの出来事が記録されていて(ルカ14の1~6・13の10~17・ヨハネ5の2~18・7の22~24・9の1~17)、それを見ると、御自身の御業の重要性のしるしとして、意図的に主は安息日に癒しを為されたのだとの結論に導かれます。すなわち、安息日における主の癒しは、当時のユダヤ人たちにとっては、未来の神の御国の象徴となっていた奇跡と結び付けられたのです。その時が来れば、捕囚は止み、喜びの時代と救世主的祝宴とが始まることになります。主の安息日の癒しは、このようにして、主が確信的に宣言された御国をあらかじめ前兆的に味わうことであり、そのしるしとしてみなされるべきでありました。その上もちろん、安息日の癒しによって、主は、人々に、御自身の御業とメッセージについて、一つの重要な判断を為すよう迫られたのです。すなわち、もしも彼が御国の到来を宣教するようにと神によって召されていなかったとするなら、そしてもしも彼が、安息日の癒しの御業で主張しているような存在でなかったとするなら、そうであればそのときこそ彼は安息日を破ったことになるのだということなのです。いずれにしても、この御方は、単なる害のない癒しを行う宗教人などと評されるべきではない方なのです。むしろ彼は、そのもろもろの癒しの行為という方法によってそれらを問題とさせながら、そんな評価を受けてしまうのを防がれたのです」①
主イエスの権威に関する論争
マルコによる福音書3章20節から35節には、一つの物語の中にもう一つの話がはさまれて入っております。この部分は、主の家族の主イエスに対する態度が、その初めと終わりとに描かれていますが(20、24、31~35節)、その間に、主イエスの権威に関し、律法学者が批判をしているくだりがはさまれています。同様の描写技法が、マルコによる福音書の中では、他の箇所でも見られます(5の21~42・6の7~32・11の12~25)。
おそらく主イエスに対するスパイであったかと思われますが、エルサレムからガリラヤに下って来た律法学者たちが、主に対し悪意のある批判の声を上げました。「あの男はベルゼブル②に取りつかれている!」と言い、また「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」(3の22)と。写本によってはベルゼブル、あるいはベルゼバブとなっていますが、ベルゼバブという読み方は、おそらく、「高き所の主」を意味するカナン神の「バアルゼブル」から由来していると考えられてます。このカナン神に関しては、列王記下1章2節から6節と節に見られますが、そこでは「バアル・ゼブブ」と読みかえられており、これは、「ハエの主」の意味で、おそらくは、イスラエルの神のライバル神ということで、あざ笑いのため、意図的にこのように読み替えをしたと考えられます。
そのような批判を律法学者たちが浴びせかけたということは、主イエスの癒しのしるしがいかに衝撃を与えたかを示しております。主が悪霊の追い払いを多くされ、またそれがあまりにも劇的でありましたので、主イエスを批判する者たちも、その奇跡があったことを否定することはできませんでした。そこで、彼らが為し得たことは、ただ主イエスが悪霊たちの仲間であると悪口を言うことだけでありました。
他の福音書は、宗教家たちがしばしば同じ非難を、主イエスに浴びせかけたことを明らかにしております(マタイ9の34・12の24・ルカ11の15・ヨハネ7の20・8の48、52・10の20)。実際、主イエスを魔術師とする見方は、『トレドト・イエス』③という本にも見られるように、ユダヤ人たちの中では長い歴史を持っています(しかしながら現今では、多くのユダヤ主義の学者たちの中には、より好意的注釈をする者たちもおります)。
この批判に対する主イエスの答えは、批判者たちの非論理性を浮き彫りにして示します。主は短い二つの例を示されます。すなわち、分かたれた家と分かたれた王国との話です。その中で主は、もしサタンが悪霊の追い出しのため主を用いていたとするなら、サタンは自分自身に敵対して働いていることになり、ついにその終わりが来ることになると論じられます。否、主による悪霊の追い出しは、悪霊の力によるものではあり得ません。むしろ、それらの出来事は、サタンより強力な御方が、サタンのとりこを解放していることを示しているのです。
御自身の弁明を締めくくられたとき、主イエスは、多くのキリスト者たちに困惑を与えてきた一つの言葉を語られました。「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」(マルコ3の28、29)。
わたしが教会に雇用されての最初の働きは、インドの高地にある全寮制の学校で、男子寮の寮監と聖書教師として数年間奉仕することでした。大部分の生徒たちは宣教師たちの子供たちでしたが、ある日のこと、その内の一人が深く悩んでいる様子でわたしのところにやって来て、「先生、どうも自分は、赦されない罪を犯してしまっていると思います。わたしが祈っても、神はもはや耳を傾けてくださいません。わたしは懸命に神様に語ろうとするのですが、祈っても何の変化も感じません」と言いました。
「ジャック」(これは彼の本名ではありません)とわたしは言いました。「君は赦されない罪など犯してはいません。君が今、そういう罪を犯したかもしれないと悩んでいるという事実は、そうではない証拠です。そのような罪を犯している人は、もはや神を求める願いを持つことはありませんし、あるいは、神様との関係についての関心をもつこともありません」
「そして、あたかも神様が君の祈りに耳を傾けてくださらないように思えていることは、君が自分の気持ちに頼っているからなのだ。感情はわたしたちを、しばしば落ち込ませます。そんなものにわたしたちは頼ることはできません。しかし、信仰は、わたしたちの感情より偉大です。わたしたちが、信じつつ、イエス様の名前で祈った場合、たとえわたしたちがどんなふうに感じようと感じまいと、それにもかかわらず、神様は、まさに聞いておられ、お答えくださいます。時々、わたしたちの感情は、わたしたちの祈りに対する神様のお答えを感じ取ります。しかし、しばしば、わたしたちは何の変化も感じません。こういうわけですから、神様はその御約束を守ってくださるかぎりにおいて、感じるか否かは、問題ではないでしょう」
ラリー・ハルタドは、主イエスの言われている意味を以下のように捉えております。すなわち、「3章28節から29節までの御言葉は、聖霊に逆らって悪いことを語ることと、その他のあらゆる罪とを区別しております。これらの中で、前者に対しては赦しがないということです。この赦されざる罪という考えは、キリスト教時代の全般に渡り、鋭敏な人々の心を悩ましてきました。しかし、すべてのそのような心配は、誤って教えられている結果です。その前後関係が明らかにしておりますように、主イエスの警告は、主の御言葉をサタンからのものであるとして(特に、3の30参照)、その御言葉を無視するという極めて限定された事柄に対して発せられたものです。そのような行為に及ぶ人は、その行為に対する主の御許しなどには何の関心も抱きません。ですから、キリストの御赦しから切り離されてしまうような何かをなしてしまっているかもしれないと恐れ心配しているようなそのことが、皮肉にも、キリストは神より遣わされている御方であられるとその人が信じている証拠なのであり、従って、ここで警告されているような罪を犯しているはずはないとの証しなのです」④
エレン・ホワイトによる主のご生涯に関する古典的な書、『各時代の希望』の中で、主イエスがこの御言葉を与えられたその背景となっていたことに関し、次のような洞察を付け加えております。すなわち、「イエスがこの警告をお与えになったパリサイ人たちは、キリストを非難しながらも、心の中ではその非難が正当であるとは思っていなかった。高い地位を占めていたこれらの人々の中には、救い主に心をひかれていない者はひとりもなかった。彼らは、みたまの声がイエスをイスラエルのあぶらそそがれた者として宣告し、キリストの弟子となることを告白するようにすすめるのを自分自身の心の中で聞いていた。キリストの前に出ると、彼らは自らの不潔をみとめ、自分ではつくり出すことのできない義をあこがれた。しかしキリストを拒んでしまってからは、いまさらキリストをメシヤとして受け入れることはあまりに不面目でできなかった。不信の道に足をふみ入れた以上、あやまちを告白することは、彼らの高慢心がゆるさなかった。真理をみとめるのを避けるために、彼らは必死の勢いで救い主の教えに反対の議論を試みた。キリストの力とあわれみの証拠は彼らを怒らせた。彼らはイエスが奇跡を行われないようにすることも、イエスの教えを沈黙させることもできなかった。だが彼らはイエスについて偽りを言いふらし、イエスのことばを偽って伝えるためにあらんかぎりの力を尽くした。それでもなお罪をさとらせる神のみたまが彼らを追いかけたので、彼らはみたまの力に抵抗するために多くの壁を築かねばならなかった。人の心を感動させるために与えられる最大の力が彼らと争っていたが、彼らは屈服しようとはしなかった」⑤
彼女のこれらの言葉は、わたしにしばし立ち止まって考えるようにさせてくれております。終わりの時代には、悪霊の諸勢力がしるしと不思議とをもって、できれば神の選民をも惑わそうとして働くであろうとの聖書の警告があります。主イエスはこれらの偽メシアや偽預言者の偽の業によって騙されないように気をつけなさいと告げておられます(マルコ13の22、23)。しかしながら、マルコ3章28、29節に見る主の忠告は、重要なつり合いのおもりを提供しております。すなわち、一方では目を覚まし気をつけていながら、他方ではいろいろな不思議な業や悪霊を追い出したりしている人々を、悪霊の仲間呼ばわりをするのに注意深くあるべきであると思います。彼らはそうであるかもしれませんが、またそうでないかもしれません。サタンは、「訴えるもの」です。非難することはこの存在に任せておきましょう。そして、わたしたちは御神の与えられた、もろもろのよい知らせをお伝えする働きをこそすることにいたしましょう。
家庭内での闘争
律法の教師たちほどには邪悪ではありませんでしたが、それでもなお、主御自身の家族からの、御自分の御働きへの評価は厳しいものでした。人々が「あの男は気が変になっている」と言っていたから、それを聞いて家族の者たちは決心しました。群がる群衆から主を引き離し、これを取り押さえ、その生き方を自分たちでコントロールしようとしたのです(20、21節)。
この出来事は主の家族内で、高度の緊張があったことを物語っております。ここでは、主は、その兄弟たち、また姉妹たちと、どんなにか異なった存在であったかがむき出しにされ、主の使命に対する神の御心が何であるかについての彼らの考え方がいかにはるかに、主のそれとは隔たっていたかがあらわにされています。信じているわたしたち、すなわち主イエスは御神の御子であられ、主、また救い主であられると信じているわたしたちにとっては、主の家族の視点は驚きであり、ほとんど信じがたいほどです。しかしながら、マルコはここで、わたしたちに、わたしたちが予期しない真実を告げようとしているという思いを改めて強めるのです。
「彼は気が狂っている」という人々の考えを、主の母は家族と一緒になって信じていたのでしょうか? わたしたちはそれを断言はできません。21節は単純に、主の「身内の人たちは」と言っております。しかし、主を家に連れて帰ろうと兄弟・姉妹たちがやって来た時、マリアも彼らと一緒におりました(31節)。おそらく、マリアは狼狽し、どうしたらよいかわからなくなって、単にこの計画遂行に一緒についてきていただけかもしれません。聖書のいたるところで、彼女は自分の驚くべき子供の存在意味やその使命について、思い巡らしていたことを描いております(ルカ2の19、51)。ですから、主イエスの生き方を変えさせようとの決定は、おそらくは、彼女ではなく兄弟・姉妹たちに端を発していたものと考えられます。
マルコによる福音書は、いたるところで、主イエスには四人の兄弟、すなわち、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンとがいたと言っております。マルコはまた、その名は示しておりませんが、姉妹たちもいたと言っております(マルコ6の1~3)。主イエスを含め、主の家族には、少なくとも七名の子供たちがいたことになります。このことは今日まで、人々にいろいろな想像を掻き立たせて来ました。特にローマ・カトリックや東方の諸教会の考えによれば、マリアは(プロテスタント諸教会も信じているように)処女懐胎し、主を生み、しかしてその後も依然として処女で、生涯子を産むことがなかったとする伝統があり、この考えに従う人々にとっては、主イエスに兄弟・姉妹が存在しているという記述は困惑でした。マリアの永遠の処女性という伝統的考えは、キリスト教のごく初期の頃から存在しており、独身主義や清貧の考え、また、他の自己犠牲的生き方の影響下で、信徒の間で受け入れられるようになっていきました。数世紀を経てこの考え、マリアの永遠の処女性が、ローマや東方の諸教会で公式の教えとなっていきました。
「永遠の処女性」の教理を信じる人々は、マルコのいう主イエスの兄弟・姉妹に関する言及を説明しなければなりません。そこで彼らは、これらの兄弟・姉妹は、ヨセフの子たちであるか、もしくはいとこたちを指すと言います。後者の見方は根拠が薄いように思われます。
前者の考えには、利点があります(マリアの永遠の処女性の考えに抵触しません)。マルコによる福音書3章に見る主イエスの家族に関係して、そこには父親の言及がありません。もしその時に生存しておれば、必ずや父親は、主の取り押さえの決定に指導的役割を果たしていたに違いありません。マルコが、ヨセフについて言及していないことは意味深長です。多分その時には、ヨセフはすでに亡くなっていたと考えるのが正しいと思います。その上、兄弟たちが主イエスに接点を持つときの態度を見ると、主イエスより、彼らの方が年長であったことを強く暗示しております(ここだけではなく、ヨハネ7の3~5をも参照)。
聖書からの情報やヒントを総合的に勘案するとき、かなり正確に主イエスの家族の様子を描けるでしょう。主イエスの父、しかし生物学的父ではなく、法的父であるヨセフは、主の生誕された時には老人であったのです。最初の結婚で得た子供たち何人かを持つ男やもめでした。マリアは彼よりはるかに若く、彼らが結婚した時には、おそらくは歳か歳、あるいはもっと若年であったかもしれません。彼らの父としてのヨセフとの間に、マリアはほかの子供たちを儲けることもできたはずです。確かなことは、彼女は永遠の処女ではありえなかったのです。⑥
どの家庭も、それぞれ特有の力動的な人間関係を有しております。愛情、傷のつけ合い、不快感など。一人ひとりの子供たちはその家族関係の中での成長過程で、時にはつらい思い、それは、他の家族は全く気づかなかったようなこと、あるいはすっかり忘れ去られて久しいような、軽んじられたと感じた経験や不正を受けたようなことを積み重ねながら、それぞれ固有の視点を形成してゆきます。家族関係、それは良いことへも悪いことへもわたしたちを16形成してゆく、あたかも人間形成のるつぼのようなものです。
わたしたちは、主イエスは決して痛みとは無縁の幼少時代を送られたのではなかったし、緊張関係もないような、大人の家族関係の中で過ごされたのでもなかったと言い得るような証拠を見ています。『各時代の希望』の中に、次のような描写を見いだします。
「彼らは(主イエスの兄弟たち、筆者挿入)イエスよりも年上だったので、イエスが彼らのさしずに従うべきだと考えた。彼らはイエスが彼らに対して優越感を持っておられると言って非難し、また民の教師たち、祭司たち、役人たちよりもお高いといって責めた。たびたび彼らはイエスを脅し、脅迫しようとした。だがイエスは聖書を道案内として進んで行かれた。……イエスは兄弟たちのようではなかったので、彼らから誤解された。イエスの標準は彼らの標準ではなかった」⑦
ですから、マルコによる福音書3章の中に記録されている主の兄弟たちの行為は、ずっと以前から継続的になされていて、それが一つの型となっていたような出来事に過ぎなかったのです。長いこと理解できなくて苦闘してきたこの弟を取り押さえるべきそのような時が来たと考えたのでした。
しかし、主イエスはいささかも譲歩なされませんでした。主が、その母と兄弟たちが来て呼んでいますとの伝言を受けられた時、彼らを戸外に待たせたまま、御自分の為しておられた御働きを継続なさいました。主はその家族を愛しておられましたが、しかし、主は御神をこそもっと高く愛しておられ、そしてまた、御神の御心にその心を開いている人々をこそもっと愛されました。御自分の周りにはべっている人々を見回されて、主は言われます。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3の34、35)と。
今や、わたしたちは前よりもっと、主イエスの弟子となることへの招きが何であるかを理解できることでしよう。主が、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」(マタイ10の37)と語られるとき、それは御自身の体験から語っておられたのです。御自身、当時の宗教指導者たちからの敵意に直面しなければならなかった主イエスは、それよりももっと鋭い痛み、すなわち御自身の家族からの排除という試練に耐えねばならなかったのです。
参考文献
第3章
① Larry W. Hurtado, Mark: A Good News Commentary(San Francisco: Harper and Row, 1983). p.36
② 新国際訳はこれを「ベルゼバブ」としている。訳者注。
③ Toledot Jeshu『イエスの生涯』。中世期にヘブライ語で書かれた、ユダヤ人の見方によるイエスの生涯に関する偽典の書。何人もの人々によって別々の書が著述され、それらが一つの書に編纂されたもので、それもいくつかの異なった訳文があり、1902年にサムエル・クラウスによって編集印刷されたドイツ語版のそれが学問的にも評価されているといわれています。訳者注。
④ Hurtado, Mark: A Good News Commentary, p.51
⑤ 『各時代の希望』中巻、p.38, 39
⑥ マリアの「永遠の処女性」というローマ・カトリック教会などが今日把持している教義は、紀元649年の教会会議にて決定されたといわれてます。マタイ1:25の「男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった」という聖書の言葉は、生まれた後も処女であったということには否定的な表現ですし、結婚及びその中の性的関係を祝福と考えていた当時のユダヤ社会のことを考えれば、永遠の処女性という考えは不自然と思われます。しかし一方、マリアに主イエス以外に自分の腹を痛めた子があったかということについては、聖書中にマリアの子ということでは主イエス以外への言及がないこと、主が十字架上で母マリアを家族以外のヨハネに託されたこと、また『各時代の希望』上巻、90ページに、主の兄弟・姉妹たちについて、「ヨセフの息子と娘たち」との表現もあるし、その他の積極的・消極的証拠からは否定的です。すなわち、マリアは聖霊によって主イエスだけを生んだと考えるのが妥当と言えると思います。訳者注。
⑦ 『各時代の希望』上巻、p.85, 86