第4章 あのガリラヤ人(マルコによる福音書4章1節~5章43節)
数年前のこと、ニューヨークにあるイスラエル観光局の機関がわたしの研究室に接触を試みてきました。実際、彼らは何度も何度も連絡してきたのです。しかし、わたしはその都度不在だったのです。わたしの秘書のキトラ・バルナバから、彼らは無料のイスラエル旅行を提供すると言っておりますよと伝えてきたときには、すぐには彼らに電話をかける気にはなれませんでした。無料というものには、いつも決まって何か付帯条件があるということがわかっておりましたし、わたしの働きに、何らかの妥協点を見いださなければならないような、不名誉となるいかなる状況にも巻き込まれたくはありませんでした。
しかし、そんなある日のこと、その機関のエドナ・ローゼンバーグ所長がわたしに電話をかけてきました。「自分たちは聖地旅行のために、クリスチャンの編集者や作家たちを集めているところで、是非あなたにも参加して欲しい。イスラエル政府が、飛行機代も含め、すべての費用を持ってくれることになる」と言いました。
その計画に乗るにはそれだけの価値のあるものでなければなりません。しかし、どんなに深く探っても、納得のいく理由づけを見つけることができませんでした。
「あなたがたは、わたしたちの機関誌に記事を書くか何かを期待しておられるのですね?」とわたしは問いました。
「いいえ。当然のことですが、わたしたちはイスラエルのことについてあなたがたが書いてくださることを願ってはいます。しかしそれはあなたがた次第です」
「もしわたしが何かを書くとして、それが記事となって出版される前に、あなたがたはあらかじめそれに目を通したいですか?」
「いいえ。あなたがたが出版するものの写しを御送付いただければ有難いですが、それもあなたがた次第です」
このような会話が進められて行く中で、わたしは和らげられてゆきました。そしてわたしは、食事の習慣さえも尋ねておりました。すると所長は言いました。「菜食はまったく問題ありません。わたし自身も菜食主義者です」と。
そのようなわけで、わたしはイスラエルに行ったのです。ジョン・F・ケネディ国際空港から満席のジャンボに乗って、まっすぐにテル・アビブへと向かいました。その地で、そのグループは集まりました。それは興味津々の一団でいろいろな人々からなっておりました。二人のローマ・カトリック新聞の編集者、北米・南米のギリシャ正教会系新聞の編集者、クリスチャン・サイエンス・モニター誌の編集主幹、北米南部からの根本主義キリスト教の牧師、そして一人のセブンスデー・アドベンチスト信者。
八日間にわたり、六人の招待された者たちと、主催者側のエドナ・ローゼンバーグと、それにガイドを兼任した自動車の運転手とが、白いミニバンに乗ってイスラエル中を旅行しました。それはわたしの人生の中で、まさに忘れ難い、心を捉えて離れることのない魅惑のひとときでした。
わたしはそれまで聖地に行ったことがありませんでした。12年もの間カレッジで、「イエスの生涯と教え」という、わたしの最も得意としていた聖書のクラスを(スパイサー・メモリアル・カレッジで、わたしはこのクラスのためにテキストを作成しました)担当していたにもかかわらず、そして、アンドリュース大学の神学院で、牧師専攻の学生たちに新約学の教授として福音書を教えていたにもかかわらず、一度もイスラエルを自分の目で見たことがなかったのです。わたしは神学生たちに、地図を書いて、その上に主イエスが歩まれた御足の跡を辿ってみるように求めました。しかし、主イエスが歩まれたとするその地について知っているすべては、本から得たものだけでした。どんなにかわたしは、主の歩まれた地に実際に行って、見て、そして感覚で味わってみたかったことでしょうか!
御神の御厚情にあずかって、それが実現したのです。しかも一銭もかからずに。わたしは聖地から戻ってきましたが、機会があればすぐにも再度飛んで行きたいようなそんな場所になってしまっております。わたしは躊躇なく言います。「もしもあなたが聖地に行けるチャンスがあれば、そうしなさい!」と。
イスラエルについての最初の印象は、なんと小さな国であるかということでした。地中海に面したテル・アビブからエルサレムまで一時間そこそこで行けるのです。そのまま東に進めば、もっと短い時間内にエリコを過ぎ死海にまで至ることができます。これで聖地の西から東端まで横断したことになるのです。北や南への道のりはもっと距離はありますが、それもそう遠いというわけではありません。この国、そこは数え切れない戦争があり、血を流した歴史があり、しかもユダヤ人にとっても、キリスト者にとっても、またイスラム教徒にとっても聖地であり、中東の戦場であるこの地は、まことに狭い地域なのです。
しかし、変化に富んだところです。地形は連続的に変化してゆきます。丘から谷へ、そして肥沃な平野、それから石だらけの斜面、そして荒野へといった具合に。しかし、これらの中でも最上の場、真珠とも言える地域は、ヨルダン川やガリラヤ湖の周辺、特にそれらの西側です。イスラエル旅行中ほとんどの時間をそこで過ごしました。その後はエルサレムに戻って、ビア・ドロローサと聖墳墓教会とに行きましたが、そこには大変失望しました。
主イエスはガリラヤ人でした。主は、エルサレム郊外のベツレヘムでお生まれになったとはいえ、お育ちになったのは、北方のナザレにおいてでした。従って、エルサレムの規制社会による規格からすれば、主は、地方人であり、田舎者でした。主がユダヤ地方へ最後に訪ねられた折、ロバの背に乗ってエルサレムに入城されたのですが、その時群集は叫びました。「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」(マタイ21の11)。しかし、宗教的位階制度からすると、主がガリラヤ出身であるということは、極めて重大な障壁とならざるを得なかったのです。「メシアはガリラヤから出るだろうか」と彼らは問うたのです(ヨハネ7の41)。
今日でもガリラヤ地方は美しく魅力的です。そこでは、古さと新しさとが隣り合っております。羊飼いたちが夜見張りをしている一方、マンゴー、アボカド、なつめやし、そしてバナナの木々を何マイルにもわたって見ることができ、そしてダチョウの飼育場さえも見れる地です!
ガリラヤ、そこは主にとっては「御自分の」地です。預言者イザヤが声高く叫びました。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(マタイ4の15、16)と。
マルコによる福音書4章と5章では、御自身の故郷におられる主イエスを、わたしたちは見ています。暗闇の地に光をもたらし、あたかも夜を過ぎ去らせるかのような主の御働き。これらの章における出来事のすべては、湖と関係づけられて起こった事柄となっています。主は湖のほとりで教えておられます。主は湖で嵐を静められます。主は悪霊につかれた人を解放されるために湖を横切って向こう岸に行かれます。そして漕ぎ戻られてから苦しみぬいてきた一人の婦人をいやされ、死んだ少女を復活させられるといった具合にです。
湖のほとりでの御教え
マルコによる福音書4章1節から34節では、本書で初めて、主イエスのなされたある特別な御教えを示してくれています。この福音書全体にわたり、著者は、通常は主の為された奇跡的御業や悪霊払いについて詳細に語ってくれております。そして主が説教し教えておられたことについてはごく簡単に述べております。
マルコは、主イエスがたとえを用いて教えを与えられたことを強調しております。主イエスは「たとえを用いずに語ることはなかった」(34節)と。なぜ主イエスがその御教えにおいて、たとえの形を用いられたかということと、そうなさることによる主イエスの御目的とは何なのかは注目すべきで、わたしたちに注意深く考慮するようにと招いている事柄です。
第一に、主イエスのたとえ話には明瞭な特性があるという点です。主イエスの時代の前でも後でも、賢人や作家たちは、自然界から教えられることに目をとめて来ましたし、あるいはまた、日常生活から道徳上のあるいは宗教上の真理を例示するような出来事を捉えておりました。
しかし、主イエスのたとえ話は異なっております。主のたとえ話は、道徳の教えとなるような面白い話というのでもないし、教えの教材でもありません。もしも、主のお話をイソップ物語や箴言に見られるような賢い人の語る金言などと比してみればその違いは一目瞭然です。実際、ユダヤの文学やその他の中にも主のたとえ話のような書き方は全く見られないのです。表面的には単純な言葉で表現されていて、その内容が一見捉えやすいように見えるのですが、それらにはもっと本質的な、今日のわたしたちにも、その急所を突くような直接に関連性のある内容が宿されているわけです。
驚く必要はないのですが、聖書学者たちは今日まで、懸命に主イエスのたとえを説明しようと多大な努力を積み重ね調べて来ました。彼らはいくつかの助けとなる洞察を集めてきましたが、一方彼らの努力の多くは、主が実際に言われたのはどの言葉かということへの考察に費やしてまいりました。すなわち、大多数の学者たちは、福音書の中で主イエスが語られたとされている言葉の多くは主御自身によるのではなく、初代教会の終わりの頃になって作り出されたものであるとして、今日彼らの多くは、たとえ話の当初の内容を再現しようと努めているところです。ここでは詳細には述べませんが、いくつかの理由で、福音書に関するこのような疑念をわたしは受け入れません。それ故わたしは諸福音書、そして特にマルコによる福音書が、主イエスのたとえ話について書きあらわしている事柄に、その焦点を合わせて考えることにしたいと思うのです。
主のたとえ話における特徴の一つは、驚きという要素です。すなわち、最初の一瞥ではその物語は単純で直裁的に見えますが、その終わりには、オー・ヘンリーの話のように一ひねりがあるのです。ブドウ畑での働き人のたとえ話(マタイ20の1~16)では、一時間しか働かなかった人々が、朝から晩まで一日中働いた人々と同じ日給を得たとしていますし、また、かの有名な放蕩息子のたとえ話(ルカ15の11~32)では、その物語は宴会で終わっているのですが、しかし、そこでは、年上で「善良」な息子はむっとして外に立っている一方、最近まで放蕩していた弟は内側で喜ばしい時を持っているのです。
こういうことが、主イエスのたとえ話が時を越えて人々に訴えている理由の一つであろうかと思われます。これらのお話は、わたしたちが常識的に考える結論とはならないのです。そうではなく、それらは、わたしたちを喜ばせ、又考えさせる「特異」なもので終わるのです。
それぞれのお話の驚きを与える終焉は、しばしば、金持ちとラザロのたとえ話(ルカ16の19~31)で見るように、運命や立場の逆転です。この話の中で物乞いをしている人はアブラハムの懐に行きます。一方金持ちであった人は最後には地獄に行ってしまっているのです。幾たびか主イエスは、そのたとえ話の要点を、まとめて見せてくださっています。「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」(マタイ19の30)と。
マルコによる福音書4章に見る驚きという要素を、以下に述べてみましょう。この要素は、これらのたとえ話の研究の中でしばしば見過ごされてきている特性です。しかしながら、まず第一に、これらの御教えの中における弟子たちの役割を観察すべきです。マタイとルカはマルコによる福音書4章に見る大部分の御教えを記録しているとはいえ、たとえ話によってあらわされた真理の秘められている性質を強調しているのは実にマルコです。
十二弟子がたとえ話の意味を主イエスに尋ねたとき、主は次のように答えておられます。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される」(11節)と。それから主は、イザヤ6章9、10節を引用され、人々は「見るには見るが、認めず、聞くには聞くが理解できない」(12節)のであると説明されます。すなわち、弟子たちはたとえ話の意味を「理解できる」「内側の人々」であり、一方「外」の大多数の人々は、主イエスの御言葉を単に興味深い物語りとしてだけ聞くのであり、それ以上ではないのです。
主イエスが言われた「秘密」、すなわちたとえ話の神秘的本質とは何でしょうか? わたしたちはその答えを、主イエス御自身の次の御言葉から見いだします。すなわち「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられている」(11節)。ですからこのこと、すなわち「神の国」のことが、たとえ話が真に告げている事柄なのです。それは、自然界からの道徳的教えや教訓ではないのです。それは、御神御自身の愛する御子の、人性と御業とによって人の存在の中に入り込んで来ている御神の活動なのです。本章の二つのたとえ話の中で主イエスはその関係を明らかにしております。「すなわち、神の国は次のようなものである」(26節)、また、「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか」(30節)と。
今やわたしたちは、十二弟子(主イエスの内側にいる人々)にとって、たとえ話とは何を意味し、それらがなぜ人類に、そしてわたしたちにも、こんなに力強く、今なお語っているのかを理解し始めております。他のあらゆる人々にまさって、主の御愛と御力の現れとを見る特権にあずかっていた十二弟子にとっては、いろいろなたとえ話は、主イエスの御使命の性質が何であるかの表現でありました。主は神の国を築くために来ておられました(そしてこの御方こそは実に、イスラエルが長く待ち望んでいたメシアでありました)。しかしその御国は、群集が待ち期待していたものから遠くかけ離れた、正反対の種類のものでありました。軍隊、剣、そして殺戮などは、地に播かれた種や、山々で失われた羊とは全く掛け離れた類似であるのと同様、その内容である御国の概念は全く遠く人々から取り去られていたのです。
不幸なことに、主イエスに耳を傾けて聞いていた大部分の人々は、「それを理解」することができなかったのです。十二弟子でさえ、主に解説を求めなければならない状態でした。実際今日までこれほどの歳月が過ぎ、この御国のため多くの説教が為され、多くの本が書き表され、またビデオなどが作成されてきておりましても、今日の大部分の人々は依然として理解し得ていないのです。なぜなら、ただ見ることのできる目を持っている者だけが理解できるのであり、聞くことのできる耳のある者だけが、ナザレのイエスとはどなたなのかを知り、そしてなぜ、この御方がこの世に来られたのかを認め得るからであります。
しかしその時主イエスは招きを与えられました。そして今もなお招いておられるのです。「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4の9)と。このようにして、主のたとえ話は、その言葉や筋書きは無防備なくらいに単純ではありますが、本質的な突っ込みでもって急所を突いてくるのです。わたしは、果たして聞く耳を持っているでしょうか? わたしはそれを理解しているでしょうか? このような問いは、これらのたとえ話が、わたしたちにそれに直面するようにと迫りくる質問です。
主イエスがあのガリラヤ湖のほとりで、そのたとえ話をなさって以来、ほとんど2000年も経っているわけですが、それらは依然として興奮と緊急性とを伴って、今なお鳴り響いております。御神は何か新しいことをなさっておられます。すなわち神の御国は徐々に割り込んで来ております。なぜなら、御子である主イエスがこの地にすでに来ておられて今日に至っているからです! 御国はみすぼらしくて、あまり重要であるようには見えないかもしれません。しかし、それは不可抗力の力を伴いつつ、徐々に成長し拡大して来ているのです。
それは真実でしたし、今日でも、なおも真実です。主イエスについての良い知らせ、福音は、今日この世における最大勢力の力なのです。
さて最後に、よく知られている種播きのたとえ話に目を留め、その中の驚きの要素に注目してみましょう。わたしは長いこと、このたとえは、いろいろなタイプの土地とそれらに蒔かれた種ということで、福音を聞く者たちのいろいろなタイプを教えているのだとみなしてきておりました。こう考えていましたので、その本質的教えは、成功というより、失敗を例示しているものと考えておりました。種が実を実らせなかったと記している他の3種の土地の記述を読んだ後でのみ、根を張り芽生えを与える良い土地と実りについてわたしたちは学ぶのです。
古代の農法の実態を知りますと、そのたとえ話を理解する助けとなりますし、洞察力を得ることとなります。現代の農業のように、まず耕し、それから畝を作ってそこに種をまくという農法とは異なり、当時は耕していない土地に種をまき、それから土を掘って種を入れるのです。ですから古代の農法では、種はいろいろな状態の土の上に落ちたのです。
このようにして、道路に落ちた種、岩の上に落ちた種、茨の中に落ちた種があったのですが、それはたまたまそうなったのであり、わざわざそうしたのではありません。大部分の種はしかし、農夫が意図した、すなわち、良い土の上に落ちたのです。一方実を実らせない3種の土地に思いを馳せ、わたしたちは、種まきの努力の大部分は無駄であったと考えたわけですが、そうではなかったのです。
その上(この点が驚きなのですが)、まかれた種の大部分が実を結んだだけではなく、その収穫は驚くほど豊かであったのです。パレスチナでの古代農法における平均的収穫は7倍半で、倍であれば豊作と考えられていたのです。①しかし、主イエスのたとえ話という種まきの結果は、聞いていた農夫には奇跡としか思えない、30倍、60倍、あるいは100倍といった増加にさえなるのでした。
その時にも今も、福音のための働き人たちにとっては、何という良い知らせ、福音であることでしょうか! あまりにしばしばわたしたちは、困難や小さな結果に焦点を合わせてしまいがちですが、しかし、御神は、その御恵みと豊かさとに集中しておられます。十二弟子がそのたとえ話を理解できなかったことは、不思議でも何でもありません。わたしたちとて同様です。わたしたちの信仰はあまりにも小さく、わたしたちの目標はあまりに制限的です。御神の御国は、抵抗できない、また止めることのできない御力の下で、人間の思惑をはるかに超え、はじけるようにして現れて行くのです。弱く、まったく重要ではないように見える中で、あのからしだねのようにして、大いなる成長を遂げて行くのです。
湖のほとりでの奇跡
ガリラヤ湖畔における主イエスの御教えを語った後、マルコは、4章35節から5章43節にかけて、四つの強力な奇跡を、互いに関連づけて示しております。彼は、各々について詳細な描写をいたしております。それぞれは読者をとらえ、「いったい、この方はどなたなのだろう」(4の41)との弟子たちの声を聞かせながら、その効果が読者に相乗作用を与えてゆくに任せています。
これらのシリーズの中での最初の奇跡は、主イエスが嵐を静められた奇跡で、自然界に対する主の御力を示しています。ガリラヤ湖はそれほど大きな湖ではありませんが、それでも危険な湖であったし、今もそうです。その湖は(ヨルダン川が流れ込むところと、流れ出るところとを除いては)、高い山々で輪のように囲まれていて、しかも、海面下200メートル以下のところに横たわっております。強い風が突然やって来て、湖の周りの傾斜面からとんでもないほど多量の空気がすべるように流れ下り、それが湖の表面をなでるようにして吹き抜けてゆくと、突然にして湖面全体はその様相を変え、牧歌風的な穏やかさから、あたかも大なべの中での泡立つ様に似た状態へと速やかに変動してゆくのです。
マルコがその状況を描写しておりますように、主イエスと、その周りのすべての人々並びにすべての事象とは、これ以上はないと言える程対照的です。吼え猛る風と怒り狂うような波に翻弄され、彼らの小さな船は水浸しになってゆき、今やそれを浮かばせておくためのあらゆる苦闘をしなければならない状況でした。船を襲い来る覆いかぶさるような新しい波は今にも船を沈めてしまいそうです。弟子たちにとっては、それは最悪の悪夢でありました。弟子たちの内の何人かは漁師でありましたので、その湖で船を操って、漁師としての仕事をしておりました。従って、彼らの仲間がこのような嵐に遭遇して死んでいったのを知っておりました。漁師以外の仕事をしてきた者たちも湖で溺れて死んでいった話は聞いており、一様に死の恐怖を感じたのです。真っ暗闇に、水中に、そして死に向かって、自分たちは沈みそうだ!
このような恐怖の最中で、主イエスはどこにおられたでしょうか? そうです、主は、クッション状のものに横たわって眠っておられました! 一日中の重労働で疲れきって、救い主は休んでおられます。風は金切り声を上げ、波は砕け散って、弟子たちは恐怖で叫び声を上げていたとき、主は御父の御愛の静寂の中に休息しておられるのです。弟子たちは、こんな中で主が眠ることができることを理解できません。彼らが今にも沈みそうになって恐怖におののき苦闘していたとき、主は何もなさっておられなかったことを信じることができません。彼らは主をゆり起こし、非難する調子で言います。「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(38節)と。
わたしたちは、弟子たちよりましな存在でしょうか? 人生の嵐がわたしたちの周りで吹き荒れるとき、御神は何もしてくれない、眠っておられると言って非難します。「主よ、あなたはなぜ何もしてくれないのですか?」「あなたは心配してはくださらないのですか?」と叫びます。しかし、主はまさに心配りをしておられるのです。そして決してそれを怠ることはないのです。「主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。見よ、イスラエルを守る者は、まどろむこともなく、眠ることもない」(詩篇121の3、4 口語訳)。主は実に、わたしたち一人びとりに、主御自身を信頼し、この御方を待ち、この御方をして畏怖の主であると見るようにと招きを与えておられるのです。
その時、主イエスは立ち上がられ、風を叱り、波に向かって「黙れ。静まれ」(4の39)と命じられました。すると風は止み、突然、その海は穏やかになりました。悪夢は終わりを告げたのです。
弟子たちは互いに言いました。「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」(41節)。おそらく弟子たちは、旧約聖書の中では、唯主御自身だけが、今まで海を叱られたと記録されていることを思い出していたのです。主イエスは御自身を、イスラエルの御神の大権を持っておられる御存在として見ておられたのです。
いったいこの方はどなたなのだろう? そうです。この方こそ、天と地の主、自然界の主、すなわち、神の御子であられたのです。
こうして一行は、湖を横切って向こう岸のゲサラ地方に着きました。その地帯は、現代のイスラエル戦争で、戦略上重要な地点であったゴラン高地と呼ばれて知られている地域です。主イエスと弟子たちは、そこには長く滞在しませんでした。一同は、そこの岸で小船を降りたとはいえ、おそらく1~2時間の内にその小船に戻り、再度湖を横切ってもと来た船路で戻っております(5の18)。その理由ですか? そこの住民たちが、一行に立ち去るように求めたからです。実際には彼らは、主に立ち去るようにと懇願したのです(17節)。
主イエスはその地で、気が触れ、手がつけられないほどに荒れ狂っている人を正気に戻すという素晴しい奇跡を行われたのですが、しかし、ゲサラの人々はそれに感動しませんでした。主は悪霊に取りつかれたこの人との接触の過程で、悪霊たちに豚の群れに入り込むことを許されます。その群れは全速力で、一目散に崖に至り、そこから湖になだれを打って駆け下り、飛び込んで溺れ死んでしまいました。
ゲラサの人々は、その豚の損失を超えては何も見ることができませんでした。この人が、悪霊に取りつかれた男に再び生きることを得させられたのであることを忘れ、ただ豚が滅ぼされたということだけが目の前にありました。そしてこのような人が彼らの周りにいることを願わなかったのです。「明らかに、その男の解放という素晴しい出来事の前には、豚の損失ということはマルコによっては、さほど重大ではないとして扱われており、それはただ、主イエスによって有害な力が征服されたことの表示に過ぎないのです。しかし(ここには再びマルコの意図した風刺が浮かび出ている)、人々は人間回復がもたらす喜びよりも豚の損失の方に、もっと心を奪われているように見受けられます。それで彼らはイエスに去るように求めるのです(5の17)。何が起こったのかを見ようと出てきた群集はただ、財産の損失だけを見たのです。すなわち、彼らの目の前にいる奇跡的に生きた人をではなく、死んでしまった豚をです。奇跡によって示されていた主イエスの重要性を見ることができなかったのです。群衆の側のこのような認識力の欠落は、主イエスの御業についての悪霊から解放された人による言い広めに対し、マルコが描写する人々の反応の仕方の中にも反映されています(5の20)。すでに指摘しましたように、マルコによる福音書では、主イエスの御業に対する人々の反応は、驚きであったとして特徴的に描写されております。しかし、この驚きという用語は、主イエスによる御働きに対する強力な印象ということを暗示しているとはいえ、それは主イエスの御存在に対する真正な信仰や洞察には極めて欠落している反応であることを表すための、マルコ的用法なのです」②
ゲラサ人の驚くべき価値観は今日のわたしたちにショックを与えますが、しかし今でもこのような考えは存在します。チップが少なくなってくると、たいていの人々は人より豚の方に関心があったことを示すようになります。繰り返し、わたしどもの間の弱者すなわち、貧乏人、子供たち、胎児たち、病人、老人たちは、人間の貪欲や利己主義という祭壇の上に追いやられ、また犠牲とされております。
ゲラサ人は主イエスに去るように願いました。その願いに応じて主はそこを去られました。昔も今も願われないところに、主イエスは決して長居はなさいません。
しかしながら、弟子たちが碇を揚げて船出する前に、主イエスは御自身の働きがその場で続けられてゆくための指導を与えておられます。癒された人に主イエスは言われました。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」(19節)と。以前には、主は、常に癒された人々に、それを誰にも言わないようにと、時にはそれは強い言葉で命じておられました。しかし、それは、メシアの到来が待ち望まれていたガリラヤ地方においてでありました。しかしながらゲラサ地方は異邦人の地でした(ですからそこではユダヤ人は決してしない豚が飼育されていました)。それでそこの人々は、主イエスについてもメシアについてもほとんど知ってはおりませんでした。主イエスは彼らにも良い知らせを伝えたいと願われたのです。ゆえに、もし人々が、主の存在は恐怖であるというのであれば、その代わりに悪霊を追い出されて正気に戻ったその人を、彼らに福音を伝える器である伝道者として用いようとされたのです。
それは有効でした。その後ややあって主イエスがその地方にもう一度来られたとき、人々は主イエスの下に群れ集まってきたのです(マタイ15の29、30)。
主イエスの湖における嵐を静められた御業は自然界に及ぼし得る主の御力を示しましたが、一方ゲラサの地での出来事は、悪霊に対する主の御力を証拠立てたのです。
後者の出来事も、前者の場合と同様、一つひとつが驚きです。この荒れ狂う髪を振り乱した虜は、ぼろぼろの服を身にまとい、引きちぎった鎖を手や足にぶら下げ、墓場や山で叫びまくっておりました。彼を支配していた悪霊は、完全な支配権を発揮しておりました。時には石をわしづかみにし、それで自分を打ちたたいたりもしておりました。
ですから人々が、彼らのいるその場所を通り抜けるのを恐れていたのは不思議でも何でもありません。わたしも恐れたに違いありません。しかし主イエスは異なっておりました。風と波に「黙れ。静まれ」と命ぜられた御方が再び語られました。悪霊は逃げ、怒り猛りは止みました(弟子たちは再度、旧約聖書が主を、サタンに打ち勝つ御力を持っておられ、また悪霊のもろもろの力を超えた唯一の御存在であるとして描いているのを思い出していたに違いありません)。その地方の人々が恐る恐る豚の群れに起こった話をチェックしにやってきたとき、山で叫んでいたあの野人が、今はすっかり静かになって、衣服を身にまとい、正気に戻っているのを発見いたしました(マルコ5の15)。
わたしどもが知る限りにおいて、主イエスがゲラサ地方に渡られたのは、この悪霊につかれていた人物を救済するためだけの目的であったのです。主は他の誰をも癒してはおられません。どんな御教えも与えてはおられません。単純に、この悲しくも失われていたその者に、全人回復を与えられただけなのです。何という救い主でしょうか!
悪霊に命ぜられ、しかしその結果、追い立てられるようにしてそこを去って行かれたこの御方は、いったいどなたなのでしょうか? 投げ捨てられていた人物を救済するため、御自分を受け入れない人々の所まで、湖を横切って行かれたこの御方はいったいどなたなのでしょうか?
この御方こそは御言葉を出されると世界が成り、混沌の世界に秩序をもたらされた御方、すなわち、神の御子であられ、その名をイエスと名づけられていた御方なのです。
マルコは引き続き、ガリラヤ湖畔における主イエスの奇跡の御業の話を続けます。一つひとつの出来事で徐々に利害が大きくなってゆき、緊張関係が増してゆきます。マルコによる福音書5章21節から43節で、一つの話の中にもう一つの別の話があるのを見ます。会堂長のヤイロが主イエスのところにやって来て、その足元にぬかずき、死にかかっていた自分の娘を救うため家まで来てくださるようにと願います。そこで主は、ヤイロと共にそちらに向かい始めます。しかしその途中で、12年間も長血を患っていた一人の婦人のため、到着が遅れることになります。彼女は群集に紛れ込んで主イエスに近づき、その御衣の裾に触れました。すると、その途端たちどころに出血が止まりました。群集の中で、誰にも気づかれないようにその場を去ろうとすると、主イエスが彼女を呼び返されます。主はこの婦人と群集とに、その癒しは魔術によったのではなかったことを知らせたかったのです。そして言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」(34節)と。
このようにして時が奪われていくとき、わたしたちは、ヤイロの思いはどのようであったかを容易に想像することができます。彼はただ、死に直面している娘のことだけを思い、過ぎ行く一瞬一瞬は彼の恐れを増大するのです。それから彼が一番恐れていたことが起こってしまいます。遅すぎたこと、娘は死んでしまったという非常に恐れていた知らせを受けるのです。しかし、主イエスはそれを立ち聞きして、悲しみに打たれているその父親を慰めます。「恐れることはない。ただ信じなさい」(36節)と。一行はヤイロの家に向かって更に進みます。その家に着くと、主は、嘆き悲しんでいる人々を皆外に出し、それから主は、ペトロ、ヤコブ、ヨハネとその娘の両親だけを連れられて、死んだ少女の部屋に入られ、娘の手を取り、言われるのです。「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい!」(41節)と。すると彼女は起き上がり、歩き出したのです。
長血を患っていた婦人においては、主イエスは、病気に対する御力を示されました。そして今や主は、死に対する御自身の御力を顕示しておられるのです。
主イエスは、マルコが記録している御業よりももっと多くの奇跡を為されたに違いありません。それゆえ、なぜ聖霊は、マルコをして、ここでの奇跡のみを選んで書かせられたのかを考えてみることは益となるでしょう。ある種の関連性として考え得ることは、この二つの奇跡は共に、女性とそれからという数字が関わっていることです。長血の女性は12年間苦しんでおりましたし、またヤイロの娘はその時12歳でした。
しかしこれら以上の事柄があります。それは二人とも祭儀上、不浄であったという点です。出血の故、その婦人は汚れていて、このような人が触れると人でも物でも汚されたことになるのです。旧約聖書では言ってます。「もし、生理期間中でないとき、何日も出血があるか、あるいはその期間が過ぎても出血がやまないならば、その期間中は汚れており、生理期間中と同じように汚れる」(レビ15の25)と。死んだ少女の場合も同様です。「どのような人の死体であれ、それに触れた者は七日の間汚れる」(民数記19の11)と言われていたのです。
このようなわけですから、マルコによって記述された二人の人々は、その低さの中でも最低の者たちとみなされていた状態の存在です。両者ともに女性であり、当時の社会では、男性より劣等の存在と見られておりました。1世紀から唱えられているとされている会堂での祈りの言葉には、自分が、犬や異邦人や女として生まれてこなかったことを神に感謝するというものがあります。そして、この二人の女性たちは、単に女性であったということにとどまらず、二人とも、祭儀上汚れていて、彼らに触れる者は誰であってもその人を汚す存在であったのです。
しかし主イエスは、出血をしているその婦人に御自身に触れることを許されるのです。わたしたちは、彼女が触れたことに対し、「わたしから離れ去れ!」とか、「あなたは自分が汚れていることを知らないのか?」といった何らの譴責の言葉も記されてはおりません。そして、少女の場合には、主イエスは死の臥所に行き、しかもその死人の手を取られたのです。
清いことと汚れとに関する規約が、御神の御目的の下、イスラエル人にとっては一つの場を占めておりました。その規則によって御神は、御自身の民たちが、聖なることと冒涜ということとの違いを学び取り、御自身の聖さを認識するに至るようにと意図されたのでした。「あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである」という言葉が、レビ記では繰り返されております(レビ11の44、45・19の2・20の7)。このような儀式上の律法は、特に神殿とその儀式とを中心に与えられていたように思われます。それらは、聖さを守る防御としての役割を担っておりました。
しかし、そのような諸規則は、それらがそのためでもあった犠牲制度と共に、決して長続きする価値を有したものではなかったのです。それらは影であり、型であり、すべては、わたしたちの間にその幕屋を張り、わたしたちの罪の身代わりの完全な犠牲として、ついには十字架の上で死なれることになっている、来るべき御方を指し示していたのです。ですから、出血している婦人が接触することは、歳の少女の死体同様、決して主イエスを汚さないし、汚すことができなかったのです。
この御方の前には、長年にわたる病も吹き飛んでしまうのですが、いったいこの御方とはどなたなのでしょうか? 死んでしまった少女をよみがえらせられる、このような御方はいったいどなたなのでしょうか? 汚れた者たちとの接触によっても汚れることのない御方とはいったいどなたなのでしょうか?
それは、命の付与者であられるイエス・キリストです。主イエス、この御方は、生ける者と死せる者とを共々に支配なさるのです。そして主イエスは、汚れなくそして聖なる御方なのです。
参考文献
① Larry W. Hurtado, Mark: A Good News Commentary(San Francisco: Harper and Row, 1983). p.58
② Ibid., p.69, 70