第5章 一瞬閃きわたったこと(マルコによる福音書6章1節~7章23節)
今までに自分が語った何かが、自分をいかにも愚かと見えるようにしてしまった経験はありませんか? 懇親会に客人として招かれた一人の男がまさにこの経験をしたのですが、彼が司会者から、「あなたが天才であると気づいたのは、どの時点でしたか」との問いが発せられた時、その鋭い矛先のようなものが突きつけられていたのです。
このようなジャブに対し、あなたならどんな答え方をするでしょうか? 質問者は、笑いを誘う謀りごとです。そしてそれは見事に成功したのですが、しかし、それはまたその客人に、彼のすべてを知っている聴衆のどの人間たちよりも、自分は決して勝ってはいないのだということを思い起させるような鋭い攻撃を宿していたのです。
よく知っているということは、しばしば蔑みを生み出します。ガリラヤ人たちは、見たい、聞きたい、触れたいということで、主イエスの周りにどっと群れ集まってきたのですが、ところが、御自分がお育ちになった故郷の人々はいかにも冷たい応対ぶりでした。「よう。天才! よそ者たち皆が言っているんだが、お前が他のところでやったというその芸当を俺たちにも見せてくれよ! まあ他の連中はいざ知らず、俺たちは騙されないよ。俺たちはお前のことは、洗いざらいみな知っているんだからさ、目くらましなんかはするなよ!」といった具合です。
わたしどもと同様、主イエスも、御自分を良く知っている人々から、あるいは少なくともよく知っていると考えていた人々から受け入れてもらいたいと願っておられたに違いありません。彼らの拒絶は刺すような痛みです。しかし、主は彼らと議論いたしません。また、その証拠を見せようともいたしません。主は、ただこのナザレの小さな群れを彼ら自身の小さな世界に残し、その小さな心のままにさせておきながら、他の地へと去って行かれます。
そして、ナザレ以外のいたるところで、ガリラヤの人たちは主イエスの周りに群れ集まったのです。御自分の故郷における失望で始まったこの部分で、マルコによる福音書は、この御方こそが長く待ち望まれていた救済者であり、従って、この御方を今にも王と宣言しようと待ち構えている群集で満ち溢れる状態にまで主の人気が高められていったことを示します。数週間、そして数ヶ月と、だんだんと期待と熱心とが高揚してまいります。主イエスに対する何と大きなジェットコースターのような期待感の高まりが見られたことでしょうか! しかし、このような高まりの最中で、マルコの驚くべき叙述は、バプテスマのヨハネの死に関する場面を回想的に挿入しております。彼によるその描写は、他の福音書と比較しますと、より長くかつ詳細で、わたしたちが知りたいと思うこと以上の内容と言えるほどです。そこにはヨハネがその命を失う場となった退廃的な宴会が描かれております。そのときの料理長の最大の出し物は豚の頭の串刺しではなく、まだ血が滴り落ちている一人の人間のそれでした。
6章1節から7章23節に記されている一つひとつの出来事につき考察を加えてゆくなら、もちろんそれぞれの中に盛られている興味深い点や意味などを見てゆくこともできますが、そうではなく、この部分ではこの章節に登場する何人かの人物に焦点を合わせて考えてみることにいたしたいと思います。ここには、主イエスの兄弟たちのヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンが登場しますし、ヘロデ・アンテパスや策略によってめとったその妻ヘロディア、ヘロディアの連れ子であるサロメ、儀式上の清めについて主と論じたファリサイ人や律法学者たちなどが出てきております。しかし、こうした登場人物の中でも更に、その他の指導的役割を果たしている人物たち、すなわち、バプテスマのヨハネと、弟子たちと、更に本書全巻を通して顕著な御存在であられる神の御子、ナザレ人主イエス・キリストとに、わたしたちの思いを集中してみることにしたいと思います。
バプテスマのヨハネ
官能的欲望、陰謀、暴力、ぞっとするほど不快な気まぐれを順序立てて話しながら、バプテスマのヨハネの死に関する物語は、言わば昼ドラの筋書きのような展開を見せてくれています。しかしマルコは、決してその読者に面白い話をしたくて、ペンを取っていたわけではありません。そうではなく、主イエスの御生涯とその御働きについて、これから起こってくる全貌にこの物語を関係づける目的でこれをとりあげていたのです。
概して福音書の中の物語は、福音書に固有なもので、同時代の歴史家たちの叙述と照らし合わせることのできる記述は、ほんのわずかだけでしかありません。そうした中で、ヨハネの死に関するこの物語については、1世紀の歴史家であるヨセファスの著述の中に、これを確証づけるような詳細な内容を見いだすことができるのです。ヨセファスは、バプテスマのヨハネの逮捕のことについて記しており、その原因は、ヨハネによって引き起こされる反逆を恐れたためであるとしております。彼はまた、ヘロデのヘロディアとの結婚によって引き起こした非行に触れていて、兄弟が生存している間は兄弟の妻と結婚してはならないと、ユダヤの掟は明瞭に定めていることを指摘しています(レビ18の16、20の21)。彼らの結婚に関してヨハネが公に譴責したことは、ヘロデと彼の新しい妻ヘロディアとに、困惑以上のことをもたらしました。それは、彼らの支配に対する民衆の怒りを更に掻き立てる結果となっていったからです。
ヘロデ・アンテパスとは、主イエスがお生まれになられた時、これを捕らえて殺そうとしたあのヘロデ大王の息子たちの一人です。紀元前4年、ローマによってガリラヤの領主という名を受け、紀元39年になって、カリグラ皇帝によって追放されるまでその地位にありました。アリストブロスの娘であったヘロディアは、アンテパスの姪にあたります。彼女が40歳になった時、アンテパスは自分の兄弟フィリポから彼女を取り自分の妻といたします。アンテパスの熱情を掻きたてるような官能的なダンスをした少女の名をマルコは述べておりませんが、ヨセファスの記録からそれはサロメであり、ヘロディアの連れ子であり、彼女が最初の結婚で儲けた子であったことがわかります。彼女が七つのヴェールをくるくる巻きにするようにして踊ったといわれている「サロメのダンス」の話は事実に基づいたものではありません。
一つの視点からしますと、マルコによる福音書6章にある物語は古代中近東世界の一つの退廃を描いているともいえます。おそらく10代の初めと思われるヘロデの養女は、酔っ払った男どもの宴席で踊っています。彼女は自分の演技に対し、どんな反応が、王やその取り巻きから上がるかを知っていて、挑発的で肉感的なダンスをしています。王は酔いの回ったもうろうとした状態で、彼女が求めるものは何であっても、それが国の半分であってもそれをあげようと言っております。ただ愚か者だけがこのようなことを言いますが、彼は、まさにその愚か者でした。母と娘とは冷笑的に共謀して、彼の道徳的弱さを利用します。そして物語は、ヘロデ家にまつわる話にもう一つの新たな一章を加えることになります。不義と、陰謀と、流血とに彩られているヘロデ家の物語にです。
しかしながら、バプテスマのヨハネの立場からすると、この物語は悲劇で脈打っております。主イエス御自身の御言葉からすると、ヨハネはこの地上で最も偉大な人でありました(ルカ7の28)。ヘロデでさえ彼を「正しい聖なる人である」(マルコ6の20)と認めておりました。御神は、彼を救世主の先触れをする者として、すなわち人々に自分を超えて、まもなくより偉大な御方が現れるということを触れ示す者として、出現させたのです。ヨハネの説教は、恐れ知らずで、直裁的で、妥協することがありませんでしたので、人々の大いなる興味を喚起いたしました。それは、そのメッセージを聞いた者のうちのある者は、彼自身がメシアではなかろうかといぶかったほどでした。しかし、ヨハネはこのような会話のすべてを静めました。主イエスが御自身の働きを始められますと、ヨハネは、群集が日に日に彼の周りから去り行き、イエスの方に移り行くのを見ます。ヨハネの弟子たちは、この移り行きに不平をもらしますが、しかし、ヨハネはそうではありませんでした。この謙遜な僕は、ただこう言ったのです。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3の30)と。
ローマの軍人たちに対してであろうと、徴税人たちであろうと、あるいはヘロデの前に立とうとも、ヨハネはえこひいきなしに語りました。もし彼が政治的便法にのっとった生き方をしていたなら、あのような悲劇的な結末を迎えることはなかったでしょう。しかし、そうであったなら、また彼は主によって任命されたメッセンジャーとしての期待を裏切ることとなったでありましょう。
マルコは、ある人々がイエスはエリヤであったと主張していたことを記録しております(マルコ6の15)。旧約聖書の最後の書は、終わりの時にエリヤが戻ってくると預言しております。「見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に 子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって この地を撃つことがないように」(マラキ3の23、24)と。①何年もの間に、ユダヤ人たちのその期待感は、エリヤ自身か彼のような人のどちらかが、最後の偉大な預言者となって現れ、メシアの義の王国のためにイスラエルを整えるようになるとの預言であると、この言葉を解釈するようになっておりました。
しかし、イエスはもちろん預言されていたあのエリヤではありませんでした。後にマルコは変貌の山における主イエスの経験を記録しております。その時エリヤとモーセとが主と出会っております。主と共に、ペトロとヤコブとヨハネとがその山から下りてくるとき、彼ら弟子たちは、その当時の人々が信じていることについて主に尋ねております。明らかに彼らは、さっき山で目撃したエリヤが、もしかしたらユダヤ人たちのところに来て住み、そして働かれるようになるのかどうかを知りたいと思っておりました。しかしながら主は、彼らに正確な情報を与えられます。「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。……しかし、言っておく。エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである」(マルコ9の12、13。2~11節も参照)と。
主イエスではなく、バプテスマのヨハネがエリヤ預言を成就したのです。しかも、ヨハネはエリヤ自身の再来なのではなく、そのメッセージや勇気や生き方が、旧約聖書中でそびえ立っていたエリヤという預言者像に驚くほど似ていた人物であったのです。マルコによる福音書、特にその6章は、この二人の人物像間の似通っているところをとりわけ強調しているように思われます。
両者とも、悪しき支配者と対決しております。片や、イスラエルを間違った道に陥れていった悪名高いアハブ、そして他方は、堕落し、退廃的なヘロデ・アンテパス。どちらも、王の悪行を断罪するのですが、それは大胆で、しかも公に宣言しました。問題の支配者たちは、それぞれの預言者に対し、愛憎相半ばする感情を有しておりました。一方では、悪がさらけ出されたことに対する怒りがあり、他方では、預言者たちが御神からの言葉を語っていることをうすうす認めているようなところがありました。エリヤもヨハネも共に、彼らを亡きものにしようとたくらむ女王と戦わねばなりませんでした。一方はイゼベル、他方はヘロディア。そして両預言者とも荒野の住人でした。多くの時間、社会から離れて生活し、突然現れては差し迫った審判のメッセージを与えたのです。
しかし、マルコによる福音書の目的には、更なるものがあります。彼は、このようなヨハネの生き方に対してよりも、もっと多くのスペースを、彼の死について割いております! この福音書の冒頭で何節かを使って彼は、ヨハネのメッセージと働きとを叙述しております(マルコ1の2~8)。しかし、6章でのバプテスマのヨハネの死に関する件では、3倍も長いのです。なぜでしょうか? それは、マルコの関心は、究極的には主イエスにあるからであり、ヨハネの死は、主イエスの前方に何が横たわっているかを暗示する役割を担わせているのです。一つの影がガリラヤにおける主イエスの働きに落ちかかってきています。人気絶頂ではありますが、そこに十字架の影があらわれたのです。
主イエスは前方に何があるかを御存知でした。ヨハネが被った恥ずべき終焉は、主を待っている動かすことのできない運命を指し示しておりました。栄光の山からの下り道で、その関連を特定されました。バプテスマのヨハネがマラキの預言を成就したことを語られ、それから、彼に対し「人々は好きなようにあしらった」(9の13)と説明され、そして御自身の最後についての預言を付け加えられました。「人の子は苦しみを重ね、辱めを受けると聖書に書いてあるのはなぜか」(12節)と。
弟子たち
6章1節から7章23節までに、マルコが記録しているいろいろな出来事のすべての中で、弟子たちがいつも主イエスの傍にいるのを見ます。ある場合には、彼らは物語の中に入ってきてはおりませんが、単純に、見ていた人たちとして、彼らはそこにいたのです。たとえば、主イエスがナザレに戻られ、しかし御自身の同郷の人々が彼に冷たい仕打ちをしていたときがそれです。
しかし、どの場面においても、弟子たちは主要な役割を演じております。彼らは良い意味でも悪い意味でも、両方の光の中で現れてきております。6章7節から13節の中では、主イエスの御働きが著しく伸展してゆくのにわたしたちは気づきます。そして、主が弟子たちを二人ずつにして送り出されたことによっても判断されますように、その伸展の過程において、彼ら弟子たちの果たすべき役割も決して小さくはなかったと考えられます。数ヶ月間、弟子たちは主イエスと共にいて、主の働かれる様を親しく観察してきました。そして今や、彼ら自身で主の働きを試みてみる時が訪れたのです。
主イエスの指示は明快で、もし主が彼らと共におられたなら、主が為されるであろう通りに働くべきでありました。主は彼らに汚れた霊を追い出す権威を与えられました。そして彼らは、「多くの悪霊」(13節)を追い出すことができることを知ったのです。主イエスのように彼らは人々が悔い改めるべきであると説教しました。そして、主と同じように、多くの病める人々を癒したのです。
主イエスは彼らを遣わされるにあたり、彼らの宿泊や食事については、他人に依存するような形を取らせられました。主は彼らに、何も持たないで旅に行くようにと言われました。パンも金も余分な衣装も持たずに、出かけて行くのです。村に入ったなら彼らを歓迎し、彼らの必要について世話をしてくれる人を探すのでした。
主イエスのこの部分の指示は、弟子たちにとっては、従うことが困難に思えた部分ではなかったかと、わたしには思えます。彼ら個々人は強い個性の持ち主の一団でありましたし、自分のことは自分で世話してきた人たちです。少なくともペトロの場合には、すべきことを人々に告げるような生き方をしてきたような人物でありましたから(彼は何艘かの船を所有しており、何人かの働き人をも雇っておりました。ルカ5の6、7を参照)。今や彼らは、特別な準備もせず、金も持たず、そして、宿るための段取りもせずに出発することになるのですが、それは、行く先々で歓迎してくれる人を探すという困難に出くわすことになるのです。
御神の御業を為そうとしている人々は、教会に雇用されようとされまいと、今も出て行って、御神のみに依存して生きるという難しい教訓を学ばねばならないのです。この教訓は、わたしたちが人生を歩み、考えたり行動したりして成長して行くとき、その全過程に影響を及ぼします。それは、通常わたしたちがどのようにしたいかということとは反対方向です。しかし、いつの時代でも、キリスト者の働きの中心に行って御覧なさい。そうすればいつでも、あなたがたはこの原則をそこに見いだします。すなわち、「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(ヨハネ15の5)。そして、「『武力によるのでも権力によるのでもなく、ただわたしの霊によって』と万軍の主は言われる」(ゼカリヤ4の6 新国際訳)のです。
そして弟子たちは従ったのです。自己依存型のペトロ、抜け目なく計算高いマタイ、懐疑的なトマス、このような彼らすべては、出かけて行って、宣教し、悪霊を追い払い、多くの病人たちを癒したのです。そして主イエスは、約束された通りに、すべての必要を満たされたのです。
この経験に関するマルコの解説は、弟子たちをして全くの光明の中に位置づけております。そこには御計画に対する彼らの一言の疑いの言葉も、また悪霊が彼らに服従した後であっても一言の高ぶりの言葉も聞かれません。
しかし、彼らが主イエスの御許に帰ってきたときから、この描写は一変していきます。主イエスは、彼らを静かな場へと船で連れ出されます。こうして彼らが休息を得、彼らにとってのこの初めての働きの経験を熟考し得るようにさせるためでありました。しかしながら、静かな場であるはずの所が、主イエスの行く先について聞きつけた群衆が、そこに先回りして駆けつけたため、人々がいっぱいになったのです。それゆえ、必要としていた休息を楽しむ代わり、主は、再びその群集に奉仕し始められます。
だんだん午後も遅くなってきております。主は状況を御存じないようにして御働きに没頭しておられるように見受けられます。それで弟子たちは、主のところに来て一言忠告いたします。日が暮れかかって来ていますので、群集をそろそろ解散させて、何か食べるものを手に入れさせるようにしてみてはいかがでしょうかと。
ところが、それに対して主は意外な答えをなさいます。「あなたがたで、彼らに何か食べ物を与えなさい」と。
それに対しての彼らの反応は、「何ですって! 主よ、少なく見積もっても、八か月の働き分は必要ですよ! それにいったいどこでそれだけの食料を手にすることができるでしょうか? たとえお金が十分あったとしても」と。
必要の満たしを御神に頼って、主が言われた通りに出て行き働いた時、それが満たされ続けたことが、実にほんの数日前までの日々の体験であったにもかかわらず、今弟子たちは、再び古い慣れ親しんだ人間的解決法に従って理由づけをしています。主は、自分たちがその問題に気づく以前においてすら、すでに配慮しておられ、人間よりもはるかに偉大なその御方がたちまち解決を与え得るのであることを、弟子たちはいまだ把握できておりません。
すべての人々が十分に食事を摂ることができました。実際、その場所には食べ物が溢れていたので、弟子たちが残りを集めると、12の籠にいっぱいになったのです。神の御子の手にかかると、子供の弁当が大きく膨れ上がり、何倍にもなり、大群衆を養い得たのです。
四福音書すべてがこの奇跡を記録しております。四福音書すべてが記述しているのは、主イエスのなされた数ある奇跡の中で唯一この出来事だけです。それは劇的であるだけではなく壮大な出来事でした。そして、それは主イエスのお働きの転換点となるのです。ヨハネはこのことを次のように述べております。「そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、『まさにこの人こそ、世に来られる預言者である』と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた」(ヨハネ6の14、15)と。
わたしたちは弟子たちの意気軒昂な姿を想像することができます。彼らが慕い従ってきた主イエスは、ついに、この御方にふさわしい地位をお受けになられる時が来たのだ。その日は、彼らのそれまでの人生の中でも、最も偉大であると思われる日でした。
しかし今や、彼らの気持ちは突然の予期しない、拒絶に出会って呆然といたします。群集が望んだことを受けるのを拒否され、主は、急に彼らを解散させ、弟子たちには船に乗ってここを離れるようにと命ぜられたのです。
「主イエスにとって、これはいったい何なのか?」と彼らはいぶかったのです。「いったいこの御方は本当は何なのか?」「この御方はわれわれをいったいどこへ連れてゆこうとしているのだろうか?」
はなはだしく失望し、幻滅を感じ、怒り、困惑し、彼らは船に乗ったのでした。しかし、そんなに長くかからずに彼らのつぶやきは止みました。それは、再び突然の強い逆風に遭遇したので、自分たちの救命のために戦わねばならなかったからです。夜明け直前の真っ暗闇の中で、彼らは湖の真ん中まで来て立ち往生の状態でありました。その時彼らは、湖の表面を横切って彼らの方向に近づいて来る一つの光を見、また人影のようなものを見たのです。それは、湖の上を歩いている主イエスであったのです! 幽霊だと思って恐怖で彼らは思わず叫び声を上げました。しかし、主は彼らの心に安かれと語られました。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(マルコ6の50)と。
主が船に乗り込まれると、風は止みます。マルコが述べておりますように、「弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである」(51、52)。
さて今やわたしたちは、5000人を養った奇跡の本当の意味を見るのです。まさにその奇跡は壮大で途方もないものでした。しかし、はるかにまさってそれ以上です。その奇跡は、実に主イエスの何たるかを明らかにしていたのです。この御方は、単に奇跡を行い、癒しをなし、悪霊を追い出したりする人物以上の御方、そして、人々が待ち望んでいた救世主以上の御方であったのです。それは、実に神の御子であられたということです。
そして、弟子たちは、この御方の側近くに常にはべり、この御方の御名により出て行き、宣教し、癒したにもかかわらず、なおもこの事柄を理解し得てなかったのです。
主イエス
さて、今度は主イエスの視点からマルコによる福音書6章1節から7章23節までの出来事を考えてみることにいたしましょう。
ナザレでの出来事を述べるにあたり、マルコは「驚いた」という言葉で枠組みを作っています。主イエスが、ナザレにやって来られ、安息日に会堂で教え始められるのですが、多くの人々は驚いてます(マルコ6の1、2)。しかしその件の終わりでは、今度は主イエス御自身が、その町の住民たちの心の強情さと信仰の欠落とに驚いておられます(6節)。
マルコによる福音書全体を通し、わたしたちは、主イエスの力ある御働きが人々を驚嘆させているのを見ます。しかし他方、主にとっての驚きは人々の信仰の欠落の深さ、すなわち主を信じるにはるかに遠い姿についてでありました。今日でも、多くの人々はイエスに興味があります。その御教えは教訓となりますし、その御生涯は高尚で、社会を向上させてくれます。しかし彼らは救い主としてこの御方を信じることはしないのです。彼らは、確かに主を、善良な人、あるいは賢い人、あるいはまた今日までの人類の中で最上の人物とまでみなすことはできるかもしれません。しかし、この御方を神の御子であると言い表すことは避けるのです。
そして、主イエスは御自分の町の民に驚くのです。彼らは自分らの間で育ち生活した主を見ており、その生活の聖さを知っておりました。彼らすべての人々は、主の御口から語られた恵み深い言葉を聞き及んでおり、また、主がどのようにして目の見えない人を見えるようにしてやり、耳の聞こえない人や口の利けない人に、聞けたり話せるようにしてあげたり、更には足が役立たなくなっている人たちや体に障害のある人たちを癒されたのかにつき、遠近より寄せられたもろもろの報告を受けておりました。しかし、それにもかかわらず、彼らは、主を彼ら以上とも、特別な人とも考えなかったし、ただ彼らと同じ人間としか見ることができなかったのです。
主イエスの次の言葉が示しておりますように、一般民衆同様に主御自身の家族たちでさえ、主を疑いを持って見ていたのです。「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親族や家族の間だけである」(4節)。御自身が愛して止まない家族たちからのこのような拒絶は、とりわけ主に痛みを与え続けたに違いありません。
ナザレの人々の否定的な応答の中で気づくことですが、同時代のユダヤ文書では決して見られない表現がそこに見られます。人々は主イエスを「マリアの息子」(3節)と呼んでいる点です。普通は父親にちなんで呼ぶのです。ここには、主の御生誕に関係しての汚辱の呼びかたであるのを感じさせられます。このような呼び方は、言わばこう言っているのと同じです。すなわち、わたしたちは彼がマリアの子であることを知っているが、父親が誰であるかは誰も知らないのであると。後になって創作された主イエスに関するあるユダヤ人の推測によれば、若い乙女マリアに惹かれたローマの軍人がその父親であるとしました。
このように主がナザレで育っていたとき、風評が彼らの間で広まっていたことがわかります。「マリアの息子」は、あごをしゃくられたり目くばせや噂話の対象でした。人間の父親なしで子を宿したとするマリアの主張は、現今でも同様ですが一般には信じられえなかったのです。
しかし、マルコは最初から主イエスを「神の子」であると宣言しているのですが、そのことへの疑問は、今日でもなお、「あのナザレのイエスとは誰であったのか?」、「マリアの子?」、「それとも神の子?」、と言った、落ち着かない人間良心の問いかけに直面しております。
ナザレでの失望の後、次に主イエスは十二弟子を送り出しておられるのを、わたしたちは知ります。指導者であるかどうかの二つの目安がありますが、一つは、助手となる者たちを選別する能力と、もう一つは、自分がいなくとも働きを継続できるように準備する能力です。主イエスは、まさに指導者中の指導者であり、しかも突出した指導者であられました。すなわち、主は賢明にしかも適切に選ばれました(割り込んで弟子となったユダだけは失敗しましたが)。そして、主は、彼らを言葉や実例や現場実習で訓練しました。
十二弟子は明らかに広範囲な影響力を及ぼしましたし、それは主イエスにかなりの満足を与え得たものであったと考えられます。彼らの訓練を兼ねて送り出した宣教の働きの直後のことについて、それに対するヘロデの反応は、恐らくは恐怖を感じたためであったと考えられますが、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」(16節)と彼が言ったことを、マルコはわたしたちに伝えております。ヘロデ・アンテパスはヨハネがまだ生きていたとき、彼を恐れておりました(20節)。この邪悪な支配者の周りに、今や悪夢が絶えずつきまとうようになったのでしょうか?
それから、主イエスはその弟子たちを休息のために連れ出されます。しかし、すでに見ましたように、その日も、静かな休暇とは言い難い状況へとなって行きました。このようにして、群集も弟子たちも、そして主イエスにとりましても、運命の瞬間に直面するようにと、運ばれて行くこととなるのです。
主イエスの前に冠と名声と栄光とがぶら下がってくるのが見えて来たとき、誰一人その中にある問題に警戒するように共に戦ってくれる者もなく、主は、ただ一人立ち向かっておられたのです。試みる者の提供がいつもそうであるように、それはなんと安易な道と見えたことでしょうか。御自身の使命を成就するための最短距離であるように見えました。サタンは主の御働きの当初から、安易な選択肢を提供しておりました。彼は今また今度は、歓呼と甘言と数千の人々の期待に満ち溢れた顔とでもって再度、主のところにやってきました。
近道はしばしば危険です。御神の働きにおいては、結果がよければ手段はどうでもいいということはありません。御神をさておいた手段は、それがどれ程魅力的で説得力あるものでありましても、結果を腐敗させます。
最初の提案の時もそうでしたが、今また主は、もう一度ただ一人で立ち向かわれます。ただの一瞬でも、主は揺らいではならなかったのです、そうでなければ、民衆に気をもませ苦しめていた提供物が主の歩みの中に洪水のように押し入ることになるのです。何らの説明もあいまいな言葉づかいもなく、主イエスは群集を解散させ、そして、毅然として弟子たちをも向こう岸へと追いやったのです。つぶやきと不平の渦巻きの中で両者とも主から離れざるを得なかったのです。それから主は、祈るため、一人山に登られたのです。
主イエスの前途には、人間の栄光とは全く異なる栄光の道が横たわっておりました。それは、ただ主のような人物にのみ訪れる運命であり、その栄光の先駆者ともなるのです。それは、邪悪で残忍で不義な人間の手に掛かる非情な末路でもあります!
参考文献
① 口語訳聖書では4:5, 6。訳者注。
*本記事は、レビュー・アンド・ヘラルド出版社の編集長ウィリアム・G・ジョンソン(英William G. Johnsson)著、2005年3月1日発行『マルコーイエス・キリストの福音』からの抜粋です。