【ペトロの手紙1・2】ペトロの人間性【概要】#1

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ペトロは、彼の名前が付いた二つの書簡(ペトロI・II)の著者です。彼はイエスの初期の弟子の1人であり、地上における公生涯の間、ずっとイエスとともにあり、空の墓を見た最初の弟子たちの1人でした。ですからペトロには、聖霊に導かれて、説得力のある二つの書簡を書くための豊富な体験がありました。「わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです」(IIペト1:16)。

ペトロは四福音書の中にしばしば登場し、彼の功績も失敗も明らかにされています。弟子たちがイエスと話をする際には、たいていペトロが代弁者でした。復活と昇天のあと、彼は初代教会の重要な指導者になりました。使徒言行録は、ガラテヤの信徒への手紙と同様、ペトロについて記しています。

最も重要なのは、ペトロが、誤りを犯すこと、赦されること、信仰と謙遜によって前進するとはどういうことなのかを知っていた点です。神の恵みを自ら体験したがゆえに、その同じ恵みを体験する必要のある私たち全員にとって、彼は力強い声であり続けています。

「わたしから離れてください」

私たちが最初に出会うペトロは、ガリラヤ湖の漁師です(マタ4:18、マコ1:16、ルカ5:1〜11)。彼は夜通し漁をしていましたが、魚が獲れませんでした。しかしそれにもかかわらず、彼と仲間は、岸から少し漕ぎ出してもう一度試してみなさい、というイエスの命令に従いました。舟が沈みかけるほどのたくさんの魚が獲れたとき、ペトロやほかの仲間は、ものすごく驚いたに違いありません。この奇跡のあと、どんな思いが彼らの頭の中をよぎったでしょうか。

ルカ5:1〜9を読んでください。ペトロは、彼がイエスについて知っていたことによって、強い感銘を受けていたに違いありません。この奇跡が起こる前だというのに、イエスが網を降ろしてみなさいとその漁師の一団におっしゃったとき、ペトロは——何も獲れていなかったので疑わしく思いながらも——「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えています。ペトロはイエスについてすでに多少知っており、その知識のゆえに彼は従わずにはいられなかったようです。確かに、この出来事が起こる前のしばらくの間、ペトロがすでにイエスと一緒にいたことを示す証拠があります。

もしかすると鍵の一つは、この魚の奇跡の前に起こったことについて記しているルカ5:3にあるかもしれません——「そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた」。たぶんここでのイエスの言葉が、ペトロに初めて深い感銘を与えたものだったのでしょう。

しかし魚の奇跡のあと、ペトロはそれ以上のもの、つまり自分の罪深さとは対照的な何か聖なるものをイエスの中に感じました。ペトロが自分の罪深さを自覚し、それをみんなの前で進んで認めたことは、彼がどれほど主に心を開いていたかを示しています。彼が主に召されたのも不思議ではありません。ペトロの欠点がどのようなものであれ、またそれがどれほど多かろうと、彼は霊的な人であり、犠牲を払ってでも主に従う心の準備ができていたのです。

問1

ルカ5:11を読んでください。ここでの極めて重要な原則は何ですか。イエスがどのような献身を求めておられるかについて、この聖句は何を教えていますか。網が魚であふれていたときに、この漁師たちが進んですべてを捨てたことから、私たちは何を学ぶべきですか。

キリストを告白する

イエスの物語における重要なときの一つが、ペトロとの会話の中で生まれました。イエスは、何人かの律法学者やファリサイ派の人々に対応されたばかりでした。彼らは、イエスの正体を証明するしるしを見せるように、と迫りました(マタ16:1〜4参照)。その後、弟子たちとだけになったとき、イエスはかつてなさった奇跡について語られました。それは、わずかなパンと魚で何千人もの給食をした二度の奇跡でした。イエスは弟子たちに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種」(マタ16:11)に対する警告を与えるためにこれらのことを語られました。

マタイ16:13〜17を読んでください。ペトロは、イエスに対する信仰を大胆に語りました。マタイ16:20によると、イエスがメシアであるというペトロの告白を、ほかの弟子たちも共有しました。ペトロを含め、弟子たちは学ぶべきことがまだありましたが、これはイエスの働きにおいて転換点になった出来事でした。

「弟子たちは、キリストがこの世の王として統治されるものと、まだ期待していた。キリストはご自分の計画を長い間かくしてこられたが、いつまでも世に知られず貧しいままであられるとは限らないのだ、イエスが王国を建設される時は近づいているのだと、弟子たちは信じていた。祭司たちとラビたちの憎しみは決して克服されないということや、キリストがご自分の国民からこばまれ、欺瞞者として非難され、犯罪者として十字架につけられるなどという考えを、弟子たちは決していだいたことがなかった」(『希望への光』887、888ページ、『各時代の希望』中巻183、184ページ)。

弟子たちからメシアとして認められるとすぐに、苦しみを受けて死なねばならないことを教え始められます(マタ16:21〜23参照)。それはペトロにとって受け入れがたい考えでした。ペトロはイエスを「叱責」します。するとイエスは振り向いて、「サタン、引き下がれ」(同16:23)とペトロに言われました。それは、主が公生涯の中で言われた厳しい言葉の一つですが、ペトロを思っての言葉でした。ペトロの言葉は、彼の願望、彼が望む利己的な態度を反映していました。イエスは(実際にはサタンに向かって話しておられ、ペトロはサタンのメッセージを受けたのですが)、その場でペトロを制止しなければなりませんでした。主に仕えることには苦しみが伴うことを、ペトロは学ぶ必要がありました。この教訓を学んだことは、彼が後に書いていることの中で明らかです(Iペト4:12参照)。

水の上を歩く

弟子たちはイエスと一緒にいたとき、多くの驚くべきことを目にしましたが、マタイ14:13〜33、マルコ6:30〜52、ヨハネ6:1〜21に記されている出来事に匹敵するものはわずかしかありません。イエスは5つのパンと2匹の魚を用いて5000人以上の人に食事をお与えになりました。このようなことを目撃したあと、再び弟子たちの頭の中をどんな思いがよぎったでしょうか。

マタイ14:22〜33を読んでください。群衆に食事を与えるという出来事によって、弟子たちはイエスの力を驚くべき形で目撃しました。イエスは自然界を支配する力を本当にお持ちでした。そのことは、ペトロがかなり大胆な願い事、というよりも厚かましい願い事をする手助けになったはずです。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」(マタ14:28)。なんという信仰の表明でしょう!

すると、イエスはこの信仰を認めて、「来なさい」とペトロに言われ、彼はそのとおりにしました。それはペトロの信仰のさらなる表明でした。穏やかな水の上を歩くのも信仰の表明ではあったでしょうが、ペトロは嵐のさなかでそうしました。

この物語のお決まりの教訓は、イエスから目を逸らすことに関する教訓です。しかし、ここにはそれ以上のものがあります。ペトロはイエスを心から信じていたに違いありません。さもなければ、このような願い事をして実行したりしなかったでしょう。しかし、ひとたび行動に移ると、彼は恐ろしくなってきて、その恐れの中で沈み始めました。

なぜでしょうか。ペトロの恐れにもかかわらず、イエスは彼を沈まないようにおできにならなかったのでしょうか。しかしイエスは、ペトロが無力感の中で、「主よ、助けてください」(マタ14:30)と叫ぶ以外に何もできない状態になることをお許しになりました。それからイエスは手を伸ばし、ペトロが願ったことをされました。そのような体の接触なしにペトロを沈まないようにできたにもかかわらず、「イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ(た)」(同14:31)という事実は、イエスに信頼することをどれほど身に付けねばならないかをペトロに気づかせるのに間違いなく役立ちました。

私たちは主の力を信じ、強い信仰で物事を始めることができます。が、恐ろしい状況がやって来るとき、イエスがペトロに言われた言葉を思い出さねばなりません。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」(マタ14:31)。

主を否認する

ルカ22:31〜34、54〜62を読んでください。ペトロの動機は良いものでした。しかも実際に、彼はほかの弟子たちより勇気を見せました。ペトロは、イエスにどんなことが起きるのかを知ろうとして、実際に主のあとを追いました。しかしその際に、彼は自分の正体を隠すことにしました。つまり「良い事と正しい事」の道から外れたこの妥協が原因となって、イエスの警告どおりに、ペトロを三度も主の否認へと導きました。ここでのペトロの物語は、妥協がいかに悲惨な結果を生じうるかという点において、悲しい意味でとても教訓的です。

知ってのとおり、キリスト教の歴史は、クリスチャンが極めて重要な真理を妥協させることで生じた悲惨な結果によって汚されてきました。人生にはしばしば妥協が伴い、ときとして私たちは譲り合う必要がありますが、極めて重要な真理に関しては、私たちの立場を貫かねばなりません。人間として、私たちはどのような状況下でも決して妥協してはならないものが何かを、学ばなければならないのです(例えば、黙14:12参照)。

エレン・G・ホワイトによれば、ペトロの妥協と失敗はゲツセマネで始まりました。あのとき、彼は祈る代わりに眠ってしまい、これから起こることに霊的準備ができなかったからです。もしペトロが忠実に祈っていたなら、「彼は主をこばむようなことをしなかったであろう」(『希望への光』1050ページ、『各時代の希望』下巻211ページ)と、彼女は書いています。

確かに、ペトロはひどい失敗をしました。しかし、彼の失敗が大きければ、神の恵みはさらに一層大きいのです。「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」(ロマ5:20)。ペトロを初代教会の重要な指導者の1人にしたのは、キリストの赦しでした。私たちすべての者にとって、神の恵みの現実に関する、なんと説得力のある教訓でしょう。私たちの失敗にもかかわらず、信仰において前進すべきだという、なんという教訓でしょうか!

確かに、ペトロは赦されるということの意味を知っていました。福音がどのようなものであるかを、彼は直接体験して知っていました。彼が自分の人間的罪深さの現実だけでなく、罪人に対する神の愛と恵みの大きさと深さを味わったからです。

教会の指導者としてのペトロ

イエスの公生涯の間、ペトロはしばしば十二弟子のリーダー役を果たしました。たいてい彼が弟子たちの代弁者でした。マタイは弟子たちを列挙するとき、「まずペトロ……」(マタ10:2)と記しています。ペトロはまた、初代教会において重要な役割を担いました。イエスを裏切ったイスカリオテのユダに代わる弟子を任命するために率先して動いたのは、ペトロでした(使徒1:15〜25)。五旬祭の日、群衆に向かって、目にしているのは約束された聖霊の賜物、神が御自分の民に注がれたものだ、と説明したのもペトロでした(同2:14〜36)。死者の復活について話したために逮捕されたとき、大祭司と集められたユダヤ人指導者たちに向かって語ったのもペトロでした(同4:1〜12)。イエスの弟子として最初に受け入れられた異邦人、コルネリウスのもとに導かれたのもペトロでした(同10:1〜48)。回心後、パウロが初めてエルサレムへ来たとき、15日間滞在したのもペトロの家でした(ガラ1:18)。当時のエルサレムにおけるイエスの弟子たちの集団を説明するとき、パウロは教会の3本の「柱」を明らかにしています。ペトロ、イエスの兄弟ヤコブ、主に愛された弟子ヨハネの3人です(同2:9)。

ガラテヤ1:18、19、2:9、11〜14を読んでください。教会の指導者であり、はっきりと主に召された者であるにもかかわらず(イエスはペトロに、「わたしの羊を飼いなさい」〔ヨハ21:17〕と言われました)、「どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか」(使徒10:28)呼んではならないことに関する幻を見せられた者であるにもかかわらず、ペトロにはまだ成長すべき部分がありました。

教会の初期、ほとんどのクリスチャンはユダヤ人で、彼らの多くは「律法に熱心」(使徒21:20、口語訳)でした。彼らの律法解釈では、異邦人と食事をすることには問題がありました。なぜなら、異邦人は汚れていると考えられていたからです。エルサレムのヤコブのもとから何人かのユダヤ人クリスチャンがやって来たとき、ペトロはアンティオキアで異邦人と食事をすることをやめました。

パウロにとって、そのような行為は福音そのものに対する攻撃でした。彼はペトロの行動を明らかな偽善とみなし、恐れることなく、そのことでペトロに異議を唱えました。それどころか、パウロはこの機会を用いて、キリスト教信仰の主要な教えである「信仰による義認」を表明しました(ガラ2:14〜16参照)。

さらなる研究

参考資料として『各時代の希望』第25章「海辺での召し」、第40章「湖上の一夜」を読んでください。

その漁師が早くに自分の罪を認めたことから、「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタ16:16)とイエスについて大胆に宣言したことや、不快にも彼の主を否認したことや、教会の指導者として功績も失敗も残したことに至るまで、ペトロは確かに中心的な人物でした。それゆえ、彼は聖霊の完璧な導きのもとで、神学的知識からだけでなく、経験そのものからも書くことができたのです。ペトロはキリストの救いの恵みだけでなく、人を変える恵みも知っていました。「彼〔ペトロ〕が大きな失敗を犯す前、彼は厚かましく、尊大で、一時の感情に駆られて軽率に語った。彼はいつも、自分自身や言うべきことをはっきり理解する前に、ほかの人を正したり、自分の考えをあらわしたりする傾向があった。しかしペトロは回心し、回心後の彼は、性急で衝動的なペトロとはまったく違った。彼はかつての情熱をとどめつつも、キリストの恵みがその熱意を制御した。衝動的で、自信過剰で、自己称揚的である代わりに、彼は穏やかで、冷静で、素直だった。それゆえ、彼はキリストの群れの羊だけでなく小羊をも飼うことができたのである」(『教会への証』第5巻334、335ページ、英文)。

私たちの中に、少しもペトロに共感できない人がいるでしょうか。ときとして、自分の信仰のために勇敢に戦ったことのない人がいるでしょうか。そして、ときとして、惨めに失敗したことのない人がいるでしょうか。

*本記事は、安息日学校ガイド2017年2期『「わたしの羊を飼いなさい」ーペトロの手紙I・Ⅱ』からの抜粋です。

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