聖書の教え– tax –
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人は本当に分かり合えるのか
人が分り合う、という事は非常に難しい事だと思います。 ある神学者の言葉です。 「私たち人間が、お互いに出会う道は閉ざされている。私たちはイエスキリストを通してのみ、初めて真の意味でお互いに出会う道を見出す。」 -
自分を愛してくれる人がいた
「わたしの目にあなたは値高く貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする」(旧約聖書・イザヤ書43章4節) これは神様からのメッセージです。これを自分へのメッセージとして受け入れることが出来る人は幸いです。 -
子犬とパン屑
異邦人であるギリシャの女性がイエスキリストに願い求めました。「娘から悪霊を追い出してください...」と。イエスと女性との意外なやり取りが始まります。なんと最初イエスはこの女性を冷たく遇らうのです。しかし、最後に願いは聞き入れられます。しかもイエスは彼女の信仰を高く評価したのでした。 -
普通に生きる偉大さ
フランクルはナチスの強制収容所を生き抜いた精神科医ですが、彼によると、あの収容所で生き抜いた人の共通点の一つは、何らかの希望を持っていたことで、もう一つはどんな状況の中においても、自分の生活を何とか整えようとすることでした。詳しい事はお聴きください。 -
自分は大丈夫という思い込み
いろいろな災害や不幸を見聞きしても、多くの人は「自分は大丈夫」と思ってしまうようです。何の根拠もありません。それらの自分にとっての可能性を考慮し計画を立てるならば、もしそれが起こっても自身のステップアップの機会と出来るかも知れません。 -
イエス様の系図
新約聖書を開くと、いきなりイエスキリストの系図が出てきます。それがけっこう長いのです。おまけに、舌を噛むような名前が連なります。そこには罪に汚れ愚かさを抱えた人たちが、たくさん含まれています。イエスキリストにとって、それはどういう意味があるのでしょうか? 私たちにとっては何の必要があるのでしょうか? -
祭りのあとの寂しさ
祭りが終わった。友達はそれぞれの家に帰った。屋台の店は片付いたところから引き上げて行った。見世物小屋のテントは地面に伏して巻かれてゆく。また来年まで。さんざん遊んで楽しんだのに... なんだか心には寂しさが残る。 -
試練を肥やしに
人は生きて行くにあたり、多かれ少なかれ必ず試練や患難に遭遇します。人はそれらによって何を得るのでしょうか。 -
人を汚すもの
イエスキリストの弟子たちが食事の前に手を洗わなかった事を、当時の宗教指導者たちが咎めたところから話は始まります。イエスは言われた「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来る物が、人を汚すのである」と。...もちろんこれは食べ物の事ではありません。心の問題なのです。 -
最後の戦い
人間にとっての最後の戦いとは何でしょうか? 希望とは、究極の選択とは・・・