福音書– tax –
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ぶどう酒と皮袋
イエスの時代、人々は苦行をする事こそが、信心深さの表現であると、勘違いしており、その様に教えていたのが、宗教指導者たちでした。それで慣習に従って断食をしないイエスと弟子たちへの批判がなされました。イエスはどの様にお答えになったでしょうか? スピーカー 浦島靖成牧師 放送 8月20日 -
断食の意義
あなたは自分の願いがかなえられるように断食して祈った事がありますか? ユダヤ教において断食は大切な宗教行為だったのです。キリストの弟子たちが断食をしていなかったので、色々言われました。この時キリストは断食の在り方を教えられました。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 8月13日 -
罪人を招くため
徴税人であるマタイをイエスは弟子にしました。徴税人はユダヤ人の憎悪の的でした。マタイは徴税人や罪人を招いて食事をしました。その食事にイエスが参加されたのですから、宗教指導者は驚き、イエスの弟子たちに質問したのです。イエスはどうお答えになったでしょうか? スピーカー 浦島靖成牧師 放送 8月6日 -
十二弟子の任命
イエスキリストは多くの人の病を癒し、大勢の人に聖書の話を聞かせた後、その中から12人を選び出し、弟子とし「使徒」と名付けました。そしてその12人にそれぞれニックネームもつけました。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 9月24日 -
湖にて
イエスは各地からやって来た群衆によって押しつぶされそうになることがありました。ある日、ガリラヤ湖に群衆が来た時、弟子に舟を岸から少し出させ、舟から群衆に教えました。その方が岸に立って教えるより危険が避けられますし、全体を見渡すことが出来るからです。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 9月17日 -
真ん中に立ちなさい
キリストの時代、ユダヤ教のファリサイ派の人は安息日に病気を癒すのは律法に反する事だと考えていました。律法は安息日に仕事をすることを禁じているからです。癒しは仕事をする事と考えていました。さて、イエスは苦しんでいる人を助けるために癒しをされるのでしょうか? スピーカー 浦島靖成牧師 放送 9月10日 -
安息日は人のため
何かをする時、それは手段なのか、目的なのか? は、とても大切な事です。手段は大切ですが、手段が目的になってはいけません。イエス・キリストはこの手段と目的に関することでダビデの例を出して教えておられます。お聴きください。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 9月3日 -
種まきのたとえ
新約聖書の中の、マルコによる福音書4章にはイエスのたとえ話が出てきます。イエスはどうして直接的に教えないでたとえを用いて教えられたのでしょうか? それはイエスの弟子をはじめ、話を聞いている人の多くは無学な人であったからです。次回からは、たとえの意味に入ります。 -
兄弟、姉妹、母
イエスが教えている時にイエスの兄弟が来たとの連絡が入りました。その時、イエスが言われた事は家族関係を軽視している様に思われる事を言いました。その言葉にはどの様な意味があるのでしょうか? そこをお聴きください。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 10月22日 -
聖霊を冒涜する罪
新約聖書・マルコの福音書3章28節の中で、キリストは「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」と言っておられます。これはどういう意味でしょうか? お聴きください。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 10月15日