あなたを解放する10の愛の言葉

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第七条からのメッセージ

失楽園 

2012年、失楽園という映画が上映されて話題になりました。不倫がテーマです。テレビでも1997年に放映されました。平均視聴率は20.7%(5軒に1軒)、最高視聴率は27.3%(4軒に1軒以上)だったそうです。どれだけ国民の関心が高かったか、がわかります。

不倫ドラマの視聴率ランキングで一位になっています。このランキングを紹介した人のコメントにはこう書かれていました。

「不倫のドラマや映画は昔から視聴率も高いんです。イケナイ事だとは知っているけど心の底では禁じられた恋愛をしてみたい!と思っている人が多いからなんでしょうか?」

確かに、日本人は、不倫というテーマが、作る方も見る方も大好き、という印象ですね。これは裏を返せば、みんなに不倫願望があるからだと言う人もいます。不倫とは聖書の言葉で言えば、姦淫です。姦淫を美化した映画やドラマが人気を博しているのです。

ところが、聖書の十戒には、あなたは姦淫してはならない(出エジプト記20:14)と戒められています。 

この戒めに関して、レビ記20章にはさらに具体的に詳しく延々と述べられています。

人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者があれば、その姦夫、姦婦は共に必ず殺されなければならない。 その父の妻と寝る者は、その父をはずかしめる者である。彼らはふたりとも必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう。 子の妻(嫁)と寝る者は、ふたり共に必ず殺されなければならない。彼らは道ならぬことをしたので、その血は彼らに帰するであろう。 女と寝るように男と寝る者(同性愛)は、ふたりとも憎むべき事をしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう。レビ記20:10-13(口語訳)

この後も、兄弟の妻、さらに、娘や母、姉や妹との近親相姦、獣姦、両親の姉妹(伯母、叔母)が挙げられています。これをわざわざ明記しているということは、こうしたことが昔から行われていた、ということを示しています。

これに対して、神は、姦淫してはならないという律法のうちどれかを破った者はみな、死刑を命じておられます。私たちの見方とは全く次元が違いますね。神様はどうしてこんなに厳しいことをおっしゃっているのでしょうか。こんなに厳しい戒めが、どうして神の愛の言葉と言えるのでしょうか。

創造の秩序

結婚や男女の関係には、神さまが定めた、創造の秩序があります。これを破るとどんなことが起こるか、まずは、実例を紹介しましょう。名前は仮名にしています。

山口春子さんは、27歳の女性で、高校を卒業してから、自動車販売会社に勤務するようになりました。

25歳の時、社内結婚し、現在、子供が一人います。夫は、結婚当時は社内の評判もよく、仕事もよくできました。しかし、もともと病弱なうえ深酒がたたり、体を壊して退職してしまいました。その後いろいろな会社を転々としましたがどれも長続きせず、経済的に不安定な日々が続くようになりました。

春子さんは子供を託児所に預け、生命保険の外交員を始めました。そのうちに、だれにも言えないで悶々としていた悩みを山下和夫という男性に聞いてもらうようになり、親しくなっていきました。

山下さんも妻子ある男性だったのですが、どんどん親密になり、自分にとってどうしても必要な人だと思うようになった頃、そのことが春子さんの夫に知れました。夫は激怒して離婚を宣言し、子供を連れていってしまいました。

さらに、この二人の関係が山下さんの奥さんにも知れて、春子さんは山下夫人から毎日のように、自宅や職場にいやがらせの電話をもらうようになりました。

それだけでなく、山下夫人は春子さん宅を頻繁に訪れて罵詈雑言を浴びせかけたり、刃物をもって家の周りをうろついたりしたそうです。つまり、この時点で山下夫人はすでに病気の状態です。

やがて山下夫人は、自殺を計ってしまいました。幸い発見が早く、一命をとりとめました。しかし、今度はこの事実を知った春子さんが、自分さえいなければこんなことにはならなかったに違いない、申し訳ない事をしたと言って、発作的に手首を切ってしまいました。

この時も周囲の人の発見で未遂に終わりましたが、春子さんは突然、全身の震え、頭痛、呼吸困難、室立室歩(立って歩けない)、人物誤認(人がだれだかわからない)、抑うつ気分、興奮、意識喪失、視力障碍、自分の今いるところがわからない、時間がわからない、などのヒステリー症状に見舞われました。

それで心配した身内の人に連れられて、精神科の外来を訪れたというわけです。

山口春子さんは、夫の失業に伴う不信感から先が見えなくなり、その不安に耐えかねて山下和夫さんという異性にすがりつきました。

その結果、問題が解決するどころか、離婚や、浮気相手の妻の自殺未遂、自分の自殺未遂、ヒステリー症状などを背負い込むことになりました。

現代では、こういうことが日常茶飯事に起こっているのです。

秩序が壊れる時に

神様がお定めになった秩序を逸脱する時には、こういうことが起こるのです。

第一に、人の心を傷つけます。本人も相手も互いのまわりの人も傷つきます。その時に子供が傷つけば、その子供も、そのまた子供もその傷を受け継ぎます。心の病が何代にも受け継がれるのです。

第二に、姦淫は家庭を破壊します。アメリカは離婚率が非常に高いことで有名ですが、離婚率の高さと比例して、ティーンエイジャーの麻薬中毒者がどんどん増加しています。親の離婚が子どもの不安をあおり、麻薬へと走らせるのです。

第三に、姦淫は病気を蔓延させます。エイズという病気も、今では輸血で感染したりするので、一概に姦淫が原因であるとは言えませんが、それが蔓延するようになった大きな原因の一つは、やはり同性愛とフリー・セックスです。そして、精神的な病気もまた、姦淫や不品行が原因で増加しています。しかもそれは、本人だけでなく、自分の家族や相手の家族にまで及びます。

神様が、「姦淫してはならない」という戒めを私たちに与えられているのは、私たちがこのように傷ついたり、不幸になったりしない為です。

私たちが自分の人生を最高に生きるためには、かなり厳しく感じられるこの律法が必要なのです。

神様は私たちを本当に愛して、私たちの幸福を願っておられるのがゆえに、私たちに必要な厳しい律法を与えて下さっているのです。

情欲とは

この戒めに関して、イエス・キリストが解説しておられる、有名なみ言葉があります。

キリストは、私たち人間を愛するゆえに、さらにはっきりとこの律法を宣言されました。

「姦淫するな」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。マタイ5:27、28(口語訳)

ここでいう「情欲」とは、「その人を自分のものにしたい」という欲望のことです。よく、おれはあの女をものにしたよ」というような言葉を聞く事があります。

「ものにした」というのは、「自分の物にした」という意味です。女性の方は「射止めた」という言い方をしますが、これもまた、相手の男性を自分の物にしたというような意味でしょう。どちらも相手の人格を、自分の所有物に引き下げて表現しているような言葉です。

情欲とは、性欲や恋愛感情のことではありません。性欲は、食欲と同じく、神が人に与えられた賜物の一つ、つまり祝福なのです。

恋愛感情も、それ自体は決して悪いものではありません。しかし、「情欲」は、人間の値引きです。人格のある人間を肉体としてしか見ない事です。そして、その肉体としての異性を、自分のものにしたいのです。

十戒の第七の戒めは、性の尊厳、つまり女性であること、男性であることを引き下げてしまうことを禁じて、互に異性を肉体としてではなく、人格として尊敬し、愛し、大切にすることを命じているのです。

『祝福の山』(エレン・ホワイト著)、74-75頁には次のように記されています。

「だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫したのである。」(マタイ 5:28 )
邪悪な思いを愛してこれを心に抱く時、それはどんなにひそかな思いであっても、罪が依然として心を支配していることを示すものだと、イエスは言われた。……
みだらな場面を思って楽しむ者、汚れた思いをいだき、色情をもって眺めたりしている者は、それがついには、あからさまな罪となって現れ、はずかしめと心をかき裂く嘆きを味わって、自分の心の隅にひそめていた悪の正体をみることになるであろう。人が嘆かわしい罪に陥る時のその誘惑がそこで明らかにされた悪を作り出すのではない。それはただ、心の中にひめ隠されていたものを発達させて、明らかにするに過ぎないのである。それは、その心に思うように、その人となりもまたそのようなのである。というのは、「命の泉」は、心から流れ出るからである(箴言 4:23 )。
「もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。」(マタイ 5:30)
病気が体中に広まって生命を奪うのを防ぐためには、人は、右手であっても切り捨てるのである。まして、魂の生命を危険にさらすものを、進んで放棄するのは当然のことである。
サタンに捕われ堕落していた魂は、福音によって贖われ、神の子らの輝かしい自由にあずかるはずである。神のみ旨は、罪の不可避の結果である苦しみから解放することだけではなく、罪そのものから救うことである。汚れてゆがんだ魂も変えられて清くなり、「われらの神、主の恵み」を身につけて、「御子のかたちに似たもの」となることができる(詩篇90:17、ローマ 8:29 )。

エレン・ホワイト『祝福の山』74―75ページ

離婚について

キリストは離婚に関しても教えておられます。

しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。マタイ5:32(口語訳)

離婚したいと思う人にはいろいろな理由があるでしょうが、聖書は、クリスチャンでない結婚相手が出て行ってしまった時と(1コリント7:15参照)、相手が不貞の罪を犯した時だけ、離婚を認めています。

しかし、相手が不貞の罪を犯した時にも、離婚は「やむを得ない」のであって、赦せるものなら赦して、過去を忘れてやり直すことが理想なのです。

今日、神の創造の秩序からはあまりにもかけ離れていて、離婚も、バツイチ、バツニというような言い方が普通に使われるようになっており、それだけ、絆がもろくなっているのを感じますね。

この問題の解決のために

それでも、神はこの罪の問題の解決のためにも、ひとり子イエス・キリストをつかわして下さいました。

イエス・キリストは、あの十字架において、全人類のすべての罪を背負い、罪の罰を受けて、神に捨てられる地獄を経験して下さいました。そして、全人類に、あなたの罪は赦された、と宣言しておられるのです。

わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。イザヤ44:22(口語訳)

どの罪を犯しても、神はその罪を赦し、その罪から救われる道を開いてくださっています。姦淫の罪もしかりです。

では、どうしたら神のもとに帰れるのでしょうか。どうしたらやり直せるのでしょうか。

もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。1ヨハネ1:9(口語訳)

自分の罪を、神に正直に具体的に告白するなら、神はその罪を赦して下さる、と約束されているのです。神のゆるしは完璧です。その罪を海の深みに投げ入れる、とも仰せになっています。

だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のためにとがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず、再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ ミカ7:18,19(口語訳)

だれの目にも触れない、だれも二度と取り上げることができない、完全になかったこととして、私たちを受けいれて下さるのです。キリストの救いを信じるなら、どの人も罪を赦され、新しい人生を生きるチャンスを与えていてくださいます。有難いですね。

新しい人生を生きる

では、赦された者が、姦淫の誘惑にも勝利して、新しい人生を生きるにはどうしたら良いでしょうか。

勝利の秘訣は、旧約聖書創世記39章に出てくる、ヨセフから学ぶことができます。

創世記39章のヨセフの物語

39:1さてヨセフは連れられてエジプトに下ったが、パロの役人で侍衛長であったエジプトびとポテパルは、彼をそこに連れ下ったイシマエルびとらの手から買い取った。 39:2主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。39:3その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。 39:4そこで、ヨセフは彼の前に恵みを得、そのそば近く仕えた。彼はヨセフに家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねた。39:5彼がヨセフに家とすべての持ち物をつかさどらせた時から、主はヨセフのゆえにそのエジプトびとの家を恵まれたので、主の恵みは彼の家と畑とにあるすべての持ち物に及んだ。39:6そこで彼は持ち物をみなヨセフの手にゆだねて、自分が食べる物のほかは、何をも顧みなかった。
さてヨセフは姿がよく、顔が美しかった。39:7これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」。39:8ヨセフは拒んで、主人の妻に言った、「御主人はわたしがいるので家の中の何をも顧みず、その持ち物をみなわたしの手にゆだねられました。 39:9この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。39:10彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。 39:11ある日ヨセフが務をするために家にはいった時、家の者がひとりもそこにいなかったので、 39:12彼女はヨセフの着物を捕えて、「わたしと寝なさい」と言った。ヨセフは着物を彼女の手に残して外にのがれ出た。創世記39:1-12(口語訳)

ヨセフは、主人の妻に言い寄られた時、「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」と言って、きっぱりと断っています。

エレン・G・ホワイト著「希望への光」p107には、この時の状況について、次のように記されています。

ヨセフはまず第一に神のことを考えた。「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」と彼は言った(創世記39:9)。
もし、神がわれわれのなすこと、言うことのすべてを見聞きして、その言行動作をそのまま記録しておられること、そして、われわれはいつかそのすべてに当面すべきであることを常に念頭においていれば、罪を犯すことを恐れるであろう。

エレン・G・ホワイト『希望への光』107頁

『ミニストリーオブヒーリング』(エレン・G・ホワイト著p157)には、次のように記されています。

自分の無力を感じ、救い主の徳に全く信頼する者ほど、無力に見えても、実際は打ち勝ち難い者は他にない。祈りと神のみ言葉の研究と神の絶えざる臨在を信ずる信仰により、最も弱い人間も、生けるキリストと共に生きることができ、キリストはその手の中に彼らを支え、決して離されない。

エレン・G・ホワイト『ミニストリー・オブ・ヒーリング』157頁

勝利の秘訣は、神がいつでも共におられる、と信じる、生きた臨在信仰にあることがわかります。

私たちも、ヨセフのように、いつでも、どこでも、神が共におられる、という生きた臨在信仰によってあらゆる誘惑に勝利させていただこうではありませんか。

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