聞いてまなぶ
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十二弟子の任命
イエスキリストは多くの人の病を癒し、大勢の人に聖書の話を聞かせた後、その中から12人を選び出し、弟子とし「使徒」と名付けました。そしてその12人にそれぞれニックネームもつけました。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 9月24日 -
湖にて
イエスは各地からやって来た群衆によって押しつぶされそうになることがありました。ある日、ガリラヤ湖に群衆が来た時、弟子に舟を岸から少し出させ、舟から群衆に教えました。その方が岸に立って教えるより危険が避けられますし、全体を見渡すことが出来るからです。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 9月17日 -
真ん中に立ちなさい
キリストの時代、ユダヤ教のファリサイ派の人は安息日に病気を癒すのは律法に反する事だと考えていました。律法は安息日に仕事をすることを禁じているからです。癒しは仕事をする事と考えていました。さて、イエスは苦しんでいる人を助けるために癒しをされるのでしょうか? スピーカー 浦島靖成牧師 放送 9月10日 -
安息日は人のため
何かをする時、それは手段なのか、目的なのか? は、とても大切な事です。手段は大切ですが、手段が目的になってはいけません。イエス・キリストはこの手段と目的に関することでダビデの例を出して教えておられます。お聴きください。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 9月3日 -
種まきのたとえ
新約聖書の中の、マルコによる福音書4章にはイエスのたとえ話が出てきます。イエスはどうして直接的に教えないでたとえを用いて教えられたのでしょうか? それはイエスの弟子をはじめ、話を聞いている人の多くは無学な人であったからです。次回からは、たとえの意味に入ります。 -
兄弟、姉妹、母
イエスが教えている時にイエスの兄弟が来たとの連絡が入りました。その時、イエスが言われた事は家族関係を軽視している様に思われる事を言いました。その言葉にはどの様な意味があるのでしょうか? そこをお聴きください。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 10月22日 -
聖霊を冒涜する罪
新約聖書・マルコの福音書3章28節の中で、キリストは「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」と言っておられます。これはどういう意味でしょうか? お聴きください。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 10月15日 -
ベルゼブル論争
イエスには異母兄弟がいたと言われています。母マリヤはイエスしか産んでいないようなので、その兄弟は父ヨセフの先妻の子ということになります。そうであれば異母兄弟は全員イエスより年上でイエスは末っ子になります。この様な複雑な家庭で正しく生きたのですから立派です。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 10月8日 -
裏切り者すらも
新約聖書・マルコによる福音書3章でイエスが12人の弟子を選ばれたことが書いてあります。イエスによってニックネームを付けられた人もいます。キレるのが速かったので「雷の子」とつけられた弟子もいます。しかし、彼も変えられていきました。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 10月1日 -
茨の中
イエスの「種まきのたとえ」で3番目に出て来る場所は「いばらの中」です。やわらかい土地があって芽は出て伸びたのですが、いばらが邪魔をするのです。イエスの説明によると、このいばらはこの世の思い煩いや富の誘惑を表します。 スピーカー 浦島靖成牧師 放送 11月26日