エフェソの信徒への手紙の概要と解説

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目次

序論

「それでは、これから謙遜の儀式のために分かれましょう」

そう言って牧師は発表を終わりました。洗足式を行うために、いつものように男性は右側、女性は左側に分かれ、礼拝者たちはそれぞれのパートナーを選び、たらいの所に行きました。教会の後ろにいた一人の男性にわたしの目がとまりました。彼は礼拝に遅れて来て、床に座り、説教を熱心に聴いていましたが、イエスを受け入れた人は誰でも、アドベンチストが行う聖餐式に参加できるという招待を真剣に受けとめました。しかし彼はこの教会では新参者でした。誰も知っている人はいません。彼は聖餐式の準備のために、彼をパートナーとして招いてくれる人が現れるのを心待ちにしていました。彼は貧しそうで、友だちもなく、異なるカーストの中にいる人の様でした。彼の地位は、自分にも絶望的に思えたし、カースト制が依然社会を規定している国家の中の、その小さな町の教会で、聖徒たちを困惑させているようでした。

わたしは、この訪問者の顔に刻み込まれた苦悩を注意して見ていました。わたしは、福音の普遍性の光が、夜明けの最初の光のように射し込むのを祈りながら待っていました。聖徒の中の誰が、この部外者の男性のパートナーになる、と申し出るでしょうか? 長老たちは、雑事をまとめるのに忙しい様子でした。執事たちも、教会の外にある唯一の蛇口から水を汲んでくるのに忙しい様子でした。他の人たちも自分のことで精一杯で、この訪問者のことにかまっておれないかのようでした。結局のところ、レビ人と祭司は、非常に忙しい人たちで、小事に煩わされるべきではないのです。

突然、この訪問者にパートナーが付きました。ラビ・アナンダンがパートナーとなったのです。ラビは、冷たいコンクリートの床の上にひざまずき、彼の相手の汚れた素足を両手で優しく持ち上げ、綺麗な冷たい水で洗いました。水はたちまち泥で茶色に変わりました。1か月前ならば、ラビはこのようなことは決してしなかったことでしょう。彼はこの男の影さえも、自分の近くに来ることを許さなかったことでしょう。彼に触ることは、触れてはならない者に触れることでしたし、触れてはならない者に触ることは、宗教的な不浄の行為であり、社会的反発を招く行動でした。

ラビに障害を取り除かせ、抱擁の手を差し伸べさせたものは一体何だったのでしょうか? ラビは既に、イエスを受け入れ、救いの喜びを見いだしていました。彼はその喜びの一部は、イエスを知ることであることを学びました。もう一つの喜びは、他者を自分と同じ仲間の人間として受け入れ、こうして神の家族の経験を持つことでした。新約聖書を研究し続けるうちに、ラビは、パウロのエフェソの信徒への手紙の中にある「取り壊された壁」の思想に大変感動しました。彼は、イエス・キリストにおいてすべての「隔ての壁」が取り壊され、新しい人が神の栄光のために現れる、ということを学びました。新しい確信が彼をとらえました。もし彼がキリストの新しい人の一部になりたければ、イエスに全く従い、彼の生活の中にあるこれらの壁が取り除かれるようにしなければなりませんでした。

壁か、それともイエスか? 二者択一が迫られ、両者を共有することはできませんでした。ラビは、彼がかつては誇っていた壁よりも、イエスを選びました。そして今、主の食卓において、ラビは古い伝統のカーストの壁と偏見を乗り越え、彼が新しく見いだした信仰を確認したのでした。この信仰による勇気を持って、彼は内にある壁を粉砕し、触れてはならないものに触るために手を伸ばしたのでした。

キリストにあるこの新しい経験、この抱擁、この一致こそ、エフェソの信徒への手紙を「新しい関係の福音」たらしめる事柄なのです。神学者や注解者たちは共に、この手紙の中に、混沌とした世界の中で神の秩序を、分裂した世界の中で一致した神の共同体を、敵意の真只中で神の究極の和解のメッセージを、そして不和と混乱の悪魔の勢力に打ち勝つ神の勝利を見るのです。エフェソの信徒への手紙は、ジョン・カルヴァンが親しんだ手紙でした。ウイリアム・バークレーは、これを「書簡の女王」と呼んでいます。チャールス・ドッドは、この中に「パウロ主義の冠」を見ています。エドガー・グッドスピードはこれに、「救いの真価についての狂想曲」を発見します。

われわれはこの書簡をその神学、教会論、叉はキリスト教社会学のために研究することができますが、一つの事から逃れることはできません。それは、神がキリストにおいて完成された、新しい創造と大争闘における最後の勝利についてのパウロが抱いている確信です。「天地創造の前に」(エフェソ1の4)神がわれわれをお選びになられたことから始まり、「悪の諸霊」に対する戦いに至るまで、この書簡は恵み、祈り、そして信仰の力を鳴り響かせています。

この祈りの霊を持って、われわれはこの「新しい関係の書簡」を研究し始めなければなりません。この書簡を研究するに当り、ラビを動かし、かつては触れてはならないものであったことに彼の手を伸ばし触れさせた、その力の神秘とご威光をわれわれも理解することができますように。人生を造りかえる力をわれわれ自身が経験し、それによって、われわれもまたキリストにあって、キリストによる新しい創造の真の一員となり、罪が赦され、神と和解し、そしてすべての隔ての壁が永久に取り除かれて、互いに交わりを持つことができますように、とお祈りいたします。

パウロの時代、エフェソはローマ、アレキサンドリア、ピシデアのアンティオキアに次いで、ローマ帝国の第4番目に大きな都市だと考えられていました。エーゲ海に向かって流れているカイスター川の川岸に位置していて、ローマからオリエントに通じる主要道路上にあり、エフェソはかつては繁栄した港でした。この戦略的位置はエフェソを、西アジアの商業、政治、銀行、そして宗教の中心地、更にギリシア人、ローマ人、そしてユダヤ人の大きな共同体の家郷の都市としたのでした。しかしこの都市の最大の魅力は、都市にあるギリシア哲学でも、ローマ法学でも、経済的繁栄でもなく、その宗教でした。

この都市の宗教は、当時「アジア州全体、全世界があがめる」(使徒言行録19の27)、豊穣の女神、ディアナ信仰を中心としていました。ローマ人には「アルテミス」、ギリシア人には「ディアナ」として知られているこの女神は、エフェソを小アジアにおける最大の旅行者集客の都市にしました。女神への礼拝と神殿の物理的威光は、この都市の富の最大の源泉でした。流行の最盛時代、ディアナの神殿は、世界の七不思議の一つとみなされていました。強固な大理石で建てられ、金で縁どられたこの神殿は、壮大な構造でした。神殿は、縦、横が425×220フィートあり、等身大の彫像で飾られていて、66フィートの高さの127本の支柱から成り立っていました。まさに芸術の粋を集めたものでした。豊穣の女神、ディアナは、偶像崇拝の最大の宝石でした。

豊穣の神への礼拝に熱中していたこの都市に入って(使徒言行録19の25)、パウロは「手で造ったものなどは神ではない」(26節)と説きました。使徒のメッセージは、エフェソの人々の信仰体系と生活基盤を根底からゆるがせたのでした。

キリストかそれともディアナか?

キリストかディアナか? この質問は、キリスト対サタンの大争闘と同じくらい古いものです。一方は創造者であり、もう片方は、被造物です。創造者と被造物の間のいずれに対し、われわれは忠誠を尽くすでしょうか?

サタンの巧妙さは、ディアナを多くの形や姿に造り上げたことです。われわれはそれらのものに人生の旅路のあらゆる場で出会います。われわれはそれらと家庭の中で出会います。そこでは、しばしば結婚の神聖さがさげすまれ、神のみ言葉がないがしろにされ、子供たちは自分勝手な道に放任され、キリスト中心が自己称揚に置き代えられています。われわれはそれらをわれわれの学校の中で見かけます。そこでは、教育が目指すものが、人道主義的価値観を抱き、生きる人物を理想像とし、信仰と愛と希望が各人の主観的な思いつきに過ぎないとみなすような多元主義的感覚を育て、人生の目標が自己の可能性を信じて、大志を抱くような人生に導くことなのです。われわれはディアナと、仕事の中で、政治の中で、社会の倫理的慣習の中で出会います。そこでは、成功がその人の価値や基準を決めるものであり、偽りがもはや偽りではなく、苦し紛れに語られた、前後関係のない言葉に過ぎないとみなされ、第7条の掟の違反行為が、相手の同意のもとになされたかどうかという観点から考えられなければならないものとなるのです。

従って、ディアナは偶像だけに限られるものではありません。創造なさり、キリストによって御自身を特別に啓示なされた神と争い、その代替えとなるすべてのものは、人生に大きな影響を与える福音の邪魔をするディアナなのです。他の宗教体系の中にディアナを探す必要はありません。それは人間の内部に存在し、人間の心から遠い所にいるものではないのです。これらすべてのディアナに対抗するために、イエス・キリストの福音が立ちはだかっているのであり、パウロはその福音をエフェソにおいて紹介したのです。彼は新約聖書の時代の最も素晴らしい教会の一つに、その土台を据えたのでした。

エフェソ―教会のはじまり

パウロのエフェソへの最初の訪問は短いものでした。彼の第2次伝道旅行の終わりにさしかかった時、コリントからエルサレムに向かう途中で、使徒は、イエスの良き知らせを語るあらゆる機会を失わないために、港湾都市のエフェソに立ち寄り(使徒言行録18の19)、ユダヤの会堂においてユダヤ人たちに福音を説きました。彼は気持よく聞き入れてくれる雰囲気をそこで感じました。

彼の聴衆は感動して、パウロにもうしばらく滞在するように願いましたが、パウロは迫っていた祭のときにはエルサレムにいるという約束があったために、それを断りました。しかし使徒は、エフェソが小アジア全体にとってキリストの福音の理想的な基地となる大きな可能性を感じていたに違いありません。彼は、彼が始めたばかりの働きを育てるために、アキラとプリスキラをそこに残し、「神の御心ならば」また戻ってくると約束しました。

「エフェソ」とは「望ましい」という意味です。パウロと彼の一行がこの都市に到着する以前は、エフェソはディアナ礼拝にとって望ましい場所でした。そこは罪とさまざまな罪の誘惑にとって、望ましい場所でした。しかし福音が入ってからは、その都市は完全に異なる理由で望ましい場所に変わろうとしていました。ディアナ神の上に築かれていた信仰体系が、「天の場所」に住んでおられ、今やイエス・キリストを通して御自身を啓示された創造の神と、対決させられようとしていました。民族、言語、文化、経済的地位の分裂に悩んでいた都市が、一致と連帯の不思議を経験しようとしていたのです。

キリストがおられるところには、常に変化が存在します。偽りから真理へ、迷信から現実へ、汚れ歪んだ生き方から清く正しい生活への招きへ、分裂から一致への変化です。この変化によって、エフェソは本当に望ましい都市となり、昇天されたイエスがヨハネを通して、「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず」(黙示録2の2)とおっしゃった教会を生み出したのです。

パウロによる改宗者であり、彼と同じテント作りの職人で、ローマでの迫害から逃れてきた、アキラとプリスキラは、エフェソにおける信者の小さな群れの最初の働き人になりました。彼らの生涯と働きは、教会を育成するための神の御計画の実例となっています。すべての会衆が按手礼を受けた選任牧師を擁すべきであるというのは、神が意図なさることではありません。神の御計画は、福音を受け入れたすべての人が良き知らせの宣伝者となり、養育者となるということです。

アキラとプリスキラに加えて、エフェソの教会にはアポロの働きによる祝福もありました。彼はアレキサンドリア生れのユダヤ人で、洗礼者ヨハネのメッセージによって回心した人でした。ギリシア哲学を学び、雄弁で、聖書に詳しいアポロは、「主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていた」(使徒言行録18の25)のです。彼の弁説や哲学の知識は、彼を気どった俗物にはしませんでした。アポロは、謙遜な人で聖書に自分を従わせました。その謙遜な精神が、彼を導いて悔い改めへの招きを受け入れさせ、彼は洗礼者の弟子となったのでした。後に彼は巡回説教者となり、町から町へと入って行き、イエス・キリストがメシアであるとユダヤ人たちを説き伏せました。

アポロがエフェソに来て説いていた時、彼の聴衆の中にアキラとプリスキラがいたのです。2人はアポロが敬虔な人で、聖書の教えに従順で、メッセージを広めるために献身していることがわかりました。しかし彼らはアポロが、「ヨハネの洗礼しか」知らず、真理の全貌に気づいていないこともわかりました。アポロは聖霊の働きについても知りませんでした。

アキラとプリスキラは、アポロの中にこれからの教会のための、福音の力強い擁護者また宣教者となる姿を認め、彼を個人的に招き、「もっと正確に神の道を説明した」(26節)のです。その結果、「この教育を受けた雄弁家は、彼らの教えを感謝し、驚きと喜びをもって受け入れた。彼らの教えを通して、アポロは聖書のより明らかな知識を得、キリスト教会の最も有能な擁護者の一人となった」1のです。

この時以来アポロは、エフェソやコリント、その他のアジアの町々で福音の強力な擁護者、説教家となったので、パウロはアポロの働き人としての能力を認め、ペトロや彼自身と共にアポロも、福音の収穫のための忠実な、種を蒔く人、育てる人、刈り取る人の中に加えました(コリント一 1の12)。

このようにしてエフェソ教会は、その初期において、学びの中心地、伝道の拠点、信者の間に存在すべき一致と愛の主要な手本となりました。復活されたイエスは、「(この教会を)使徒の時代におけるキリスト教会全体の象徴としてお用いになった」2のでした。

エフェソにおけるパウロの働き

パウロは彼の第3次伝道旅行の際にエフェソに戻って来ました。この度は、彼はおよそ3年間、説教し、教え、開拓し、キリストの強力な拠点を築きました。その結果、「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」(使徒言行録19の10)のでした。

「ユダヤ人であれ、ギリシア人であれ」です。彼の長い牧会伝道の最初から、パウロは彼の弟子たちに、イエス・キリストの福音には国境はないし、福音は誰をも特別扱いはしないということを知って欲しいと願っていました。キリストは、皮膚の色、民族、肩書き、性の違い、また罪が人生にもたらしたいかなる障壁となる要素であろうと、それらのものにかかわりなく、万民の救い主です。イエスはすべての人々の主です。このメッセージが、異邦人に宛てて書かれた使徒のすべての書簡、特にエフェソの信徒への手紙の中に鳴り響いています。

エフェソにおけるパウロの長期にわたる働きは、正しい調子――この都市の最初の信者たちに真理の全貌をもたらすこと――で始まりました。アポロの場合のように、これらの信者たちはヨハネの洗礼を受けてはいましたが、イエスの名による洗礼は受けておらず、「聖霊があるかどうか」さえ聞いたことがありませんでした(1~3節)。

イエスの名による洗礼について何がそれほど重要だったのでしょうか? 一つは、ヨハネの洗礼は、「自分の後から来る方、つまりイエスを信じる」(4節)ための準備段階となる、悔い改めへの招きでした。イエスのもとへと導かず、またイエスと矛盾する真理は、それがどのようなものであっても真理ではあり得ません。イエスは、そのいずれも正当で客観的に有効である、とある人々が考えているような、「真理に至る異なる通路」の中の選択肢の一つなのではありません。これほど聖書の主張からかけ離れている教えは他にありません。イエスはただ一人のお方です。イエスの主張は、独特なものです。イエスと競い得る者は一人もいません。イエスの御名によってバプテスマを受けることは、イエスの贖いを受け入れ、次のように言われたお方に対して変わらない忠誠を宣言することです。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14の6)。バプテスマのヨハネもそうでした。ほかの預言者たちもそうです。ディアナもそうです。これらの「多くの神々、多くの主」もそうです。

中核となる最初の信者たちがイエスを主と受け入れた時、彼らは実際に、余すところなく受け入れる段階を踏んだのです。彼らはイエスの名によって洗礼を受けました。信者たちは聖霊を受け、「異言を話したり、預言をしたり」(使徒言行録19の6)しました。聖霊を受けたしるしは、すべての場合に皆同じではありません。聖霊を持っている証拠として、異言を話すことや預言をすることを挙げるのは、正しいことではありません。

聖書は聖霊によって祝福を受けている他のしるしを記録しています。神の掟に従って歩むこと(エゼキエル36の27)、神の神殿として自分自身を献げること(コリント一 3の16)、力に満たされたキリストの証人となること(使徒言行録1の8)、神の子供として正しく生きること(ローマ8の14~16)、すべての人間を神の子らとして受け入れること(使徒言行録10の19~20)、キリストの命を生きること(ローマ8の11)等々は、聖霊に満たされている幾つかのしるしです。つくり変えられた人生の奇跡に勝る奇跡はありません。従って、エフェソの信徒への手紙は、救われ、霊に満たされた生活、神と調和し、すべての人と一つになっている生き方の実際的な教訓を多く語っています。

エフェソの最初の教会には、わずか12人しかいませんでした(使徒言行録19の7)。幾人かの女性や子供たちがいたとしても、決して大きな教会だったとは言えません。しかし、主からの任命を自覚していた伝道者は、自分の働きの成功を洗礼を受けた人の数によって測ることはしませんし、またそのようにすべきではありません。伝道は、数合わせではなく、宣言の業です。

3か月の間パウロは、会堂でユダヤ人たちに、イエスは旧約聖書の預言の成就であり、イエスこそ本当のメシアであり、世界の救い主であることを示そうと、懸命に説きました。幾人かのユダヤ人たちは信じましたが、多くのユダヤ人たちはイエスの福音の包括性――ユダヤ人と共にギリシア人をも含む――を受け入れる備えはできていませんでした。そこでパウロは、会堂から手を引き学校へと向かわなければなりませんでした。ユダヤの会堂が福音の宣教を拒み、世俗の学びの場所が新しく入った真理を聴こうと歓迎するとは、何とも奇妙なことです。パウロはそこで2年も説き続けました。教会成長には忍耐と継続的な養育が必要です。ウイリス・ローリィーが1940年代にインド北東の丘陵地帯、ミゾラム州に着任した時には、その地域にはアドベンチストは他に一人もいませんでした。彼の妻ヘレンと彼は、最初の宣教師であり、彼らは自分たちの前に置かれた働きが、この地の丘やそこに住んでいる部族と同じように、骨の折れる厳しいものであることを知っていました。しかし彼らは、自分たちが最初に決意したことは、アドベンチストのメッセージを忠実に伝えることであると、堅く心に決めていました。

ミゾラムにはほとんど道らしい道はなく、健康や教育組織や安定した政治もほとんど見られませんでした。ローリィー夫妻は人々の中に住み、彼らと親しくなり、彼らが持っていた僅かのものを分け与え、こうして少しずつかれらの信仰について話し始めました。彼らは近くの村々を徒歩や馬の背に乗って訪問し、友だちをつくり、人々に感化を与えました。

ヘレンは料理が上手でした。彼女の料理の腕前を最善に示すことができるような材料はありませんでしたが、彼女は手元にあるものは何でもうまく利用しました。これが地元の女性たちの心を動かしました。ウイリスは、何でも手助けができる腕と、人に同情できる広い心と、誰とでもすぐに友だちとなれる絶えることのないほほえみを持っていました。これらの才能を活かして、彼らは福音を土着させ、方言を学び、人々を教えました。

ウイリスは、その人が福音を詳しく知り、それを時間をかけて実践するようになるまでは誰にも洗礼を施しませんでした。改宗者にとっては、それは安息日を守るために仕事を捨てることであり、家族の必要に応える前に収入の10分の1を主のために聖別することであり、あらゆる形のタバコを永久に吸わないことを意味していました。そして何よりも最善を尽くし、あらゆる状況のもとで主を愛することを意味していました。

時には一人の人が洗礼の準備ができるまでに、ほとんど6か月かかりました。教会の成長はどちらかというと遅い状態でした。一時に大勢の人々が受浸することはありませんでした。信者たちは、教会とそのプログラムが自分たちのものだと感じていました。南アジア支部の強力な信徒主導型の伝道と育成プログラムは、教会の特徴であり、それが成熟への途上に置かれています。ミゾラムは、監査の必要がほとんどなく、政治力も最小限ですみ、聖書と預言の賜物の学びが、すべてのアドベンチスト家庭と教会の情熱的な関心事となっている一つの地域となりました。

その結果、60年後には、ミゾラムの教会は堅実な養育と強固な成長を記録したばかりではなく、一人当りの献金額が最も大きい割合いを示しています。結果としてこの伝道地は、この支部内での最初のカンファレンスとなりました。

パウロがエフェソに与えたものは、このような養育でした。使徒はこの市に3年間留まりましたが、その年月は決して安易なものではありませんでした。彼は福音がこの市を、十字架につけられ甦られたイエスと、命のないディアナとに二分するのを見ました。ある時には、パウロと彼の仲間の説教者たちに対抗して全市が暴動を起こしました。ディアナの礼拝者と祭司たちは彼らの女神よりも収入のことを心配していました。市の商人や職人組合は、もしディアナがイエスに置き換えられるならば、損失が大き過ぎることがわかったのでした。彼らは、市の資金流入額が暴落し、銀細工師や職人たちの失業率が上がるのを見たくはありませんでした。それよりも彼らはパウロやイエスを追い出したかったのでした(使徒言行録19の23~28)。

このような反対にもかかわらず、パウロは教え、説教し、「目覚ましい奇跡」を行いました(11節)。福音を信じた人々は、彼らの罪を告白し、魔術や占いの道から離れました。オカルトの世界は封じられたのでした。信者たちは市中に大かがり火を炊き、「銀貨五万枚にもなる」(19節)ディアナに捧げられた書物を焼き捨てました。最も重要なことは、こうして、「主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった」(20節)ことでした。

強い教会

使徒パウロが築いたすべての教会の中で、エフェソの教会は、パウロにとって非常に近く、特別な存在であったようです。結局彼は、彼の最善かつ騒然たる年月の内、3年をこの教会の発展のためにささげたのでした。パウロは、第3次伝道旅行を終えて、エルサレムに帰る途中で、エフェソの長老たちと会いたいと願いました。彼の船による巡回は、エフェソから30マイルほど離れたミレトスに止まることになっていましたので、彼は送別の集会のために教会の長老たちをそこに呼び寄せました。使徒言行録20章17節から37節にある長老たちへの彼の送別の言葉を読むだけでも、エフェソ教会に対するパウロの愛と関心が理解できます。しかしこの送別の辞には、各時代の牧師、伝道者、教会長老に対する他の重要な教訓があります。

  • 牧師の生活は、その働きと同様に透明で開かれたものでなければならない(18節)。
  • 牧師の働きは、謙遜と誠実が特徴であるべきである(19節)。
  • 牧師は真理を余すところなく教える教師でなければならない。信者に役に立つことは一つも控えてはならない(20節)。
  • このような説教や教えは、キリスト中心――「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」――であり、すべての人々をキリストによる一致に結び付けるものでなければならない(21節)。
  • 奉仕は自己の前に来なければならない(24~26節)。人生を測るパウロの基準は、イエスの働きのために、いかに、そしてどれほど費やされたかである(24節)。
  • 牧会伝道の働きは、ワンマンショーではない。パウロは責任の委譲を信じていた(28~31節)。
  • 教会の生活は、しばしば内外からの継続的な危機の中の生活である。牧師はこの事実を自覚すべきである。牧師の生活やメッセージは、絶えずこれらの危機を念頭にし、群れを励ますものでなければならない(29~31節)。

このような慰めに満ちた、感動的な言葉を与えた後に、パウロは長老たちと共に祈り、彼が非常に愛し、2度と再び帰ることのないこの教会を後にし、エルサレムに向かったのでした。立派なすべての伝道者が必ずするように、使徒は教会の管理を有能な指導者たちの世話のもとに置きました(28節)。後に使徒は、テモテをそこの牧師に任命し、エフェソの人々が、「異なる教えを説いたり、作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないように(と)。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします」(テモテ一 1の3、4)という特別な確認事項を委ねました。エフェソの教会はまた愛する弟子、ヨハネの働きと勧告を受ける特権にあずかりました。3

以上がエフェソの教会の誕生と成長でした。教会とエフェソ市がなくなってから長い年月が経ちますが、使徒パウロがそのために与えた愛と世話は、彼が愛する信者たちに書き送った書簡のかたちで残っているのです。この書簡は、使徒がイエスの名を携えるすべての人々に期待している統一された関係の象徴として存在しているのです。

著者―使徒パウロ

あなたがたは、「二度とわたしの顔を見ることがない」(使徒言行録20の25)。これらの悲しい言葉を残して使徒パウロは、ミレトスに集まったエフェソの長老たちと別れました。これらの言葉はいかに預言的であったことでしょう。パウロはエルサレムで捕らえられ、後にローマで獄に入れられました。彼の公の働きが止められると共に、使徒はカイザルの牢獄に座す身となりました。彼は人生の暗雲に気を病む人ではありませんでした。彼は牢獄の静けさを生かして、ダマスコからローマに至る長い道程を熟考するために用いました。

使徒は牢獄という負債を、歴史上重要な財産とし、未来の世代への遺産に変えたのでした。彼は「獄中書簡」と呼ばれる、四つの重要な手紙を書くために時間を用いました。このそれぞれの書簡は独特なメッセージを伝えています。フィレモンへの手紙には、ローマへ逃亡してきたフィレモンの奴隷で、後にパウロによって改心させられたオネシモについての非常に微妙な事柄が書かれています。オネシモを「わたしの子」と呼んで、パウロはフィレモンに対しオネシモを一人の兄弟として受け入れるようにと訴えています。死罪に値する一人の逃亡した奴隷は、クリスチャン家庭の共労者の一員となったのです。キリストの福音の力とは、このようなものなのです。

使徒はコロサイの信徒への手紙によって、キリストの神性と受肉という、言わばキリスト教信仰の基礎となる教えそのものを疑った異端から信徒を救いました。彼はまたフィリピの信徒に、クリスチャンの兄弟愛にある喜びの書簡を書きました。

彼は3年間過ごした教会のことも忘れはしませんでした。エフェソの信徒への手紙を、教会論、世界観、キリスト論、恵みのみによる救済論等の見地から読むこともできます。しかし、この書簡の主要な強調点は、和解者なるキリスト――神と人類を和解に導いたお方、人と人との間にあるあらゆるもろい障壁を取り壊し、創造の折に計画された一致をもたらしたお方――にあります。

著者自身が自らを、「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロ」(エフェソ1の1)と紹介しています。「使徒」という称号は、本来福音書の中で十二弟子に与えられていますが、パウロもこの称号を主張しています。彼の主張は、自己の真正さを証明するためになされたものではなく、絶対的に不思議なことから生じたものでした。彼は甦られたイエスが、ダマスコへの途上で実際に彼に個人的に出会われ、彼を異邦人への使徒になるようにとお召しになられたことを確信していました(使徒言行録9の15)。これはペトロや他の使徒たちも、自ら事実として認めていたことでした(ガラテヤ2の8~10)。このような召命における彼の不思議は、ファリサイ人の中のファリサイ人、初代教会を破壊するために自らを全く捧げ、多くのクリスチャンの血を流してきた手を持つ人物が(使徒言行録8の1、9の1、2)、なぜイエス・キリストの使徒として召されたか、という不思議です。その答は、神の恵みです。

人間の天才も神の恵みの働きを説明することはできません。神がお召しになられる時、誰が公然と反抗するでしょうか? イエスはパウロを異邦人への使徒にお召しになられました。彼はその召命とその責任との源泉を、敢えて疑うようなことは1度たりともありませんでした。パウロの使徒職の真正さに疑問を抱いた人々が、特にコリントの教会に幾人かはいましたが、使徒自身は、彼の権威を精力的に擁護しました。ダマスコ途上における彼の召命は、ガリラヤ湖畔でのペトロ、ヤコブ、ヨハネらの召命、あるいは徴税所におけるマタイの召命が真実であると同じように、真実でした。使徒がローマ帝国全体に伝道の働きを成功させた原動力は、実に神の恵みと御目的によって与えられたこの召命にあったのでした。しかしその召命そのものは、彼の方から求めたものでも、また他の人が彼に与えたものでもありませんでした。彼が確信していたことは、彼の使徒職が、「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって」(ガラテヤ1の1)与えられたものであるということでした。

神が人を召される時、それに対する応答は、「はい」か、「いいえ」だけです。神は絶対的な受容を求められます。生半可な返答は駄目です。ウルにおけるアブラハム、燃える柴の側のモーセ、脱穀場でのギデオン、異国でのエステル、漁場でのペトロ、ダマスコ途上のパウロ――各自はそれぞれの召命を受けました。彼が召されたその瞬間から、パウロは自らを異邦人への使徒であるばかりではなく、「キリスト・イエスの僕」(ローマ1の1)だと考えました。

手紙の受け手

パウロは彼の手紙の受け手が、どのような人たちであったかを示す3つの言葉を用いています。「エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ」(エペソ1の1 口語訳)。

最初に、「聖徒たち」という言葉です。パウロはこの言葉を彼の書簡の中で度々用いています。この言葉は新約聖書の中で61回使われていますが、39回はパウロの書簡の中にあります。教会史と伝統は、「聖徒」という言葉が、あたかも教会内の非常に清潔な選り抜きの僅かの人を指すかのごとく、この言葉の周りに一種独特な雰囲気を創造しました。ローマカトリック教会は、ある人が「聖徒」(「聖者」)と呼ばれるための教会のすべての手続きを創作しました。それは、その人が死んだ後、教会がその人の生涯の活動を調べ、働きの神聖さ、行った奇跡、普通の人々の神への祈りに耳を傾け、それを言い換え、うまく答を引き出す能力等の調査項目を精査した後に与えられるものでした。しかし、「聖徒」についての聖書の概念には、そのような美化する手続きは一切含まれてはいません。

「聖徒」と訳されている、新約聖書で最も普通に使われている言葉は、「ハギオス」です。この言葉は、「『イエスに対する信仰を守り続ける』(黙示録14の12)ために聖別する」という意味です。「聖徒」という概念は、道徳的完全さと何の関係もありませんし、その人の品性の結果でもありません。「聖徒」の重要な定義は、イエス・キリストによって救われた罪人であるということです。「聖徒」は必ずしも善良な人ではなく、信仰によって神の善意を経験した人です。この言葉そのものに永続的な肩書きがつけられているのではなく、人がキリストの内に留まり続ける限り、その人は神の聖徒の一人であるという可能性がこめられている言葉です。

パウロが用いている第2の句は、「エフェソ(エペソ)にいる」人々です。初代教会はほとんどすべてが、この書簡は、エフェソにいる聖徒たちに宛てられたものであると受け入れていました。しかし幾つかの重要な古代の写本が「エフェソにいる」という句を省いていて、そのためにこの書簡が、果たしてエフェソの信徒に宛てて書かれたものであるかどうかという問題が生じたのです。保守的な学者たちは、概ねエフェソがこの書簡の宛先であることを受け入れていますが、同時に、この書簡はおそらく周辺の教会にも回覧されるべき回覧用書簡(カトリックの「回勅」に当る――訳者註)として計画されたものだとも考えています。この書簡では、特定の神学的また倫理的問題が取り扱われてはいないので、使徒は、彼が他の書簡では取り扱わなかった問題を描くために、すなわち、キリストの働きを宇宙的見地の中に置き、イエス・キリストは宇宙の主であることを全世界に、そして未来の世代に向かって示すために、時間をとったのかもしれません。

このことを示すのに、エフェソほど良い場所が他にあったでしょうか。エフェソ市は、あのディアナが木星から飛び下りてきたので、すべてのものの礼拝と賛美を受けるに相応しい、と信じてきた町でした! この偽りの教義とは対照的に、パウロはエフェソの人々に――そして彼らを通して、すべてのキリスト教の世界に――イエス・キリストは惑星から飛び下りてきたお方ではなく、「天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる」(エフェソ1の10)ために、父なる神の住まいである「天上」(エペソ1の3 口語訳)からおりて来られたお方であることを示そうと願いました。従ってこの書簡の宛先は「エフェソにいる聖徒たち」です。

第3は、「キリスト・イエスにあって忠実な」という句です。聖徒とは、二つの住所を持つクリスチャンです。一つの住所は、この地にあり(ここでは、エフェソ)、一時的な場所です。もう一つは、「キリスト・イエスにある」場所で、永遠の場所です。最初のものは、時とともに変わるかもしれませんが、第2のものは、決して変わりません。この第2のものに忠誠を尽くすことが聖徒としてのわれわれの肩書きを決めるのです。

何がクリスチャンを忠実な者にするのでしょうか? その人が正直であり、善良であり、他者との関係が立派だからでしょうか? クリスチャンは皆その通りでなければなりませんが、それ以上の者なのです。堅固で不動の信仰の錨がなくては、誰一人としてクリスチャンではあり得ないのです。この信仰は何よりもまず、イエス・キリストの人格と働きに根づくものでなければなりません。キリストの十字架と復活とを信じないで、どうして忠実な聖徒であり得るでしょうか? キリストの御要求に全く献身し、キリストのように生活し、キリストのように話し、キリストのように歩き、キリストのように関わることなしに、どうしてキリストに忠実な者となりうるでしょうか?

キリストに対する絶対的忠誠の必要は、強調されなければなりません。なぜならば、われわれは余りにも多くの人々がキリストの御名を空しく唱えている世界に生きているからです。いわゆる「ライス[お米]クリスチャン」と呼ばれる人々がいます。この人々は、経済的な利益を受けるために、この尊い御名を唱えます。「ラダー[はしご]クリスチャン」もいます。この人々は、社会的な勢力を増すために教会を抱き込みます。「スプリンクルド[スプリンクラーを備えた]クリスチャン」もいます。洗礼のときに水しぶきを浴び、結婚式で紙吹雪をかぶり、死ぬ時には灰となるのです。このような人にとっては、キリスト教は万事首尾よくことが運んでいる時にのみ役立つものなのです。これらすべてに反し、十字架のキリストは、信じる者、忠実な者、信頼する者にキリストのもとに来て、キリストのもとに留まるようにと命じておられるのです。

聖徒たちへのパウロの前祷

キリストにあって忠実な聖徒であることの利益は何でしょうか? パウロは書簡の本文に入る前に、この質問に対する簡単な答を与えています。「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(2節)。恵みと平和は、彼の書簡の中でパウロが挨拶で習慣的に用いている言葉です(ローマ1の7、コリント一 1の3、コリント二 1の2、ガラテヤ1の3等)。相手の健康と繁栄を願う挨拶の言葉(使徒言行録23の26)で、恵みを表す伝統的なギリシア語、「カイレイン」の代わりに、パウロは、クリスチャンの信仰において新しい意味を持ち始めていた「カリス」という言葉を用いています。恵みとは、罪人への神の不相応な好意です。恵みによって神は罪からの救いをわれわれに提供なさいます。それは、贖われた家族に属する結果起こってくる溢れるばかりの救いの喜びであり、すべてのクリスチャンの挨拶と交わりの基礎をなすものです。

パウロは読者への挨拶に「平和」を加えています。パウロが願った「平和」は、キリストが罪からの贖いによって、信者と神との間に築く新しい関係の結実です。キリストの死と復活が神と罪人との間に平和をもたらし、人間同士の間の壊れた関係を癒します。罪の支配が十字架で取り除かれたので、われわれは垂直方向にも、水平方向にも平和を持っているのです(ローマ5の1)。

クリスチャンの平和の概念は、外面的な慰めや状況に依存してはいません。それは内面的、関係的なものです。それは罪の中心となる問題に直接関係しています。わたしは神との平和を持っているでしょうか? これが最初の質問です。第2は当然続く質問です。わたしは隣人との平和を持っているでしょうか?

パウロは恵みと平和の源泉を共に、「父である神と主イエス・キリスト」(エフェソ1の2)に置いています。「父」はイエスが神を指す場合に好んで用いられた言葉でした。しかしどのような神でしょうか? 名前もない大きな力でしょうか? ギリシア哲学が誇っていた第一原理なのでしょうか? ヒンズー教が語る至高にして測りしれない「思想」なのでしょうか? 天上の雲に座し、この地上に起こることには全く無関心なお方なのでしょうか? 下界における律法と秩序に対し目を光らせている偉大な警察官でしょうか? 善と悪の平衡を保つために狡猾な手を使う厳格な裁判官でしょうか? 特別に美味しいものが一杯入っている包みを持って、自分の意のままに投げ与えている甘いおじいさんでしょうか?

「父」という言葉は、これらやその他の未成熟な神概念を直ちに打ち壊します。そのような神ではなく、神とは「わたしたちの主イエス・キリストの父である神」です。パウロは、父なる神とイエスとのつながりを明らかにするようにと、われわれに求めています。この神は、現実のお方で、人格を持ち、優しく、人が近づくことができるお方です。神の父性は、われわれに真の愛の概念を直ちに与えてくれます。神の愛はわれわれを創造されたばかりではなく、罪からわれわれを救われるためにわれわれを探し求められたのです。神の愛を描くために、新約聖書は「アガペー」という言葉を用いて、犠牲的で、積極的で、人間には不相応な愛を表現しました。神の愛は変わることも、揺れ動くこともありません。徹底的に頼ることのできる愛です。それは愛自身のために愛する愛です。それはわれわれが愛されるに相応しいからではなく、愛を必要としている存在であるがゆえに、われわれを愛するのです。この愛は人間の命に最高の尊厳を置きます。そうです。たとえわずか一人の罪人であったとしても、キリストはその一人の放蕩者のために命をお与えになられたことでしょう。神がわれわれの父であり、主イエス・キリストの父であることをわれわれが理解するようにと、パウロが求めているもう一つの理由がここにあるのです。

重要な主題

既に述べたように、エフェソの信徒への手紙は、この教会の特定な問題を取り扱ってはいません。その代わりに、使徒は「わたしたちの父である神と主イエス・キリスト」が人類のためにしてくださったことについて熟考しているのです。罪から人類を救い、和解によって創造を回復するという目的において、神とキリストが一つであるという位置付けをすることによって、パウロは父と御子との同等性を強調しています。キリストの神性は論じられる必要はありません。キリストは神であり、父なる神と等しく、共に永遠なるお方です。しかし、キリストは、ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、地上で歩き働かれ、最後に十字架につけられ、再び甦られたイエスでもあるのです。

神なるキリストと、人間の肉体を持たれるイエスとは一つであり、同じお方であり、第2位の神です。キリスト教は、キリストの神性と人性という二つの支柱の上に存在しています。そのいずれを取り除いても、キリスト教の啓示は成り立ちません。神としてキリストは、人類に対する神の恵みと愛との化身であり表現です。人間として彼はアダムが失敗した場所を受け継ぎました。キリストはサタンを打ち破り、神の贖いの目的を果たされました。従って、この書簡の焦点は、神がキリストにおいてなさった事柄に向けられているのです。

「キリストにおいて」は、この書簡の最重要主題の一つであり、最初から紹介されています(エフェソ1の3)。この句とこの句の異なる表現(「彼において」「御子において」等々)は、パウロの書簡の中でおおよそ200回出てきますが、そのうち30回はエフェソの信徒への手紙に出ています。これは、神が新しい人類のために可能とされたすべての事柄が、キリストにおいて、そしてキリストにおいてのみ完成されたという事実を主張するために、使徒が好んで用いた表現です。

イエスの受肉、死、そして復活がなければ、人類は無力のまま放置され、サタンと彼の悪の計画の餌食となっていたことでしょう。創造、歴史、贖罪、そして回復における神の永遠の目的はキリストにおいて、キリストを通して実現したのです。キリストは、われわれが神から頂くすべてのものを手に入れる鍵です。キリストのおかげでわれわれは神をわれわれの父と呼ぶことができるようになり、「憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づ」(ヘブライ4の16)くことができるようになったのです。従ってこの書簡はあらゆる面において、キリスト中心の手紙であり、キリストに対する賛美と感謝の歌なのです。

この書簡の第2の主題は、贖いと回復です。これは、イエス・キリストの福音の中に、「信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです」(ローマ1の16、17)という事実を見たパウロにとっては、何ら不思議なことではありません。

キリストにある信仰の共同体は、罪から救われ義に回復された、贖われた共同体です。更に、このような贖われた共同体は孤立してはいません。それは、イエス・キリストを通して神と和解した共同体として立っています(コリント二 5の16~18)。使徒は、和解と回復のこの神の計画が、「天地創造の前に」(エフェソ1の4)神の御心に発案されてから、終末的な「時が満ちるに及んで」(10節)最後に一つにまとめられる時までを描写しています。

神と人との和解の完成から、この書簡は第3の重要な主題である、「一つとなること」へと移行しています。エフェソの信徒への手紙は、宇宙が神の御心と御意志のうちに最後には一つとなる、と断言しています。すべてのものが「前もってキリストにおいてお決めになった神の御心」(9節)に従って動いて行くのです。

このことをパウロほどよく理解した人は他にいませんでした。彼は人間の区別の性質と原因を知っていました。彼は敬虔なユダヤ人であり、サンヒドリンの議員であり、ファリサイ人の中のファリサイ人でありました。彼はイスラエルが選ばれた民族であると、固く信じていました。当時のほとんどのユダヤ人と同じく、パウロはユダヤ人を異邦人から区別する境界線が何であるかを知り、それを実行していました。ローマの市民として、彼はローマ人を蛮族から区別する壁を知っていました。ギリシア哲学を熟知する人として、彼は自由な身分の人と奴隷とを決める境界線を知っていました。人間の間にある区別は、パウロにとって何ら新しいものではありませんでした。

しかし、ナザレのイエスがダマスコの途上でパウロと出会った時、彼が受けた最も重要な二つの啓示は、イエス・キリストが罪から救う神の道であるということと、この贖いの新しい世界には、国境も障壁も存在しないということでした。彼は異邦人への使徒となる召命を真剣に、全面的に受け入れました。そしてそれが彼の人生と働きに大きな影響を与えました。

パウロは恐らくこの真理の巨大さを把握した最初の弟子でした。バルナバの共労者として、彼はアンティオキアの教会で、区別の壁が崩壊する様を目撃しました。彼はユダヤ人も異邦人も、男も女も、ローマ人も蛮族の人も、皆が一つの大きな神の家族の一員となり、すべてのものが聖霊を受ける様子を見ました(使徒言行録11の20~30)。このような経験から、パウロはガラテヤの信徒たちへ、「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3の26~28)と語りました。

エフェソの信徒への手紙の中でパウロは2種類の一致について語っています。最初は、キリストにある信者の一致があります。使徒は多民族の教会に宛てて書きました。教会員の中には、ユダヤ人と異邦人、アジア人とヨーロッパ人、奴隷と自由な身分の人など、区別された人類のあるゆる象徴が見られました。その中でも、最も顕著な区別は、恐らくユダヤ人と異邦人の間にある壁でした。この壁は両者間の社会的接触を許しませんでしたし、一方が他方より優れていることを主張しました。

パウロはエフェソの信徒への手紙第2章全体を用いて、十字架上のキリストの死が、いかにその壁を破壊したか、また、キリストが築いた新しい秩序が、いかに割礼を無効にし無益なものにしたかについて説明しました。

キリストがユダヤ人と異邦人との間にもたらしたこの新しい一致の真理は、人間の計画によっては起こり得ないし、理解もできないものでした。この真理は神の真理であり、神によって実現されたものでした。神は、十字架上のイエスを通して、人類を区別した割礼の律法を廃し、「双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現」なさいました(エフェソ2の15)。パウロはこれを「秘められた計画」(3の3)と呼びました。言語、国籍、民族、性、その他のどのような区別の壁をも乗り越えて実現した信者の一致は、神の行為であり、この書簡の中心主題なのです。

エフェソの信徒への手紙の中でパウロが示したこの一致の教理の第2の側面は、それが宇宙的な規模を持つものであるということです。罪は人間の間に分裂をもたらしたばかりではなく、罪が侵入する以前の創造の秩序の中に存在していた、調和と一致をも引き裂きました。自然界そのものは、この宇宙的な憎悪と分裂の証人です。種と種の間の敵意、激しく噴火する火山、破壊的な地震や竜巻き、われわれの地球が辿ってきた道程を見て、堕落していない他世界に与えたに違いない悲しみ――これらすべてのものは、神が、「天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる」(エフェソ1の10)時に実現する、不調和が一致に対し道をゆずる「解放の日」の到来を叫び求めているのです。ウイリアム・バークレーは、このことに関して次のように注解しています。「エフェソ書の中心思想は、宇宙における不一致の自覚と、すべてのものがキリストにあって一つになる時にのみ一致することができるという確信である」4

一致の主題から、パウロはもう一つの宇宙的な主題の強調へと移っています。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェソ6の12)。キリスト対サタンの間の大争闘の一部である、クリスチャンの戦いの現実は、使徒の心に重くのしかかっています。その現実とその危険性が彼の心をつかんでいます。彼はこの戦いを、信者の生活のあらゆる分野――家庭、職場、礼拝等の個人生活――に影響を及ぼすものとして見ています。使徒はクリスチャンに、その危険性を自覚するようにと警告しています

従って、神学的な土台においても、実際的適用においても、クリスチャンの生活が、この栄光ある書簡の中の使徒の喜びと関心の的でした。このような書簡をある人々は、「七つの教会に宛てて書かれたパウロの九つの書簡という峰々の中にそびえる……『全新約聖書のアルプス山脈』」5だと呼びました。

参考文献

1         The SDA Bible Commentary (Washington,D.C.:Review and Herald Pub. Assn.,1956),vol. 6,p. 1063.

2         エレン・G・ホワイト著『患難から栄光へ』下巻、282頁

3         同上

4         William Barclay,The Letters to the Galatians and the Ephesians (Edinburgh: The Saint Andew Press, 1976),p.66.

5         The SDA Bible Commentary, vol.6,p. 995.

この記事は、ジョン・M・ファウラー(山地明・訳)『エフェソの信徒への手紙』からの抜粋です。

ジョン・M・ファウラー
インドで生まれ、10代の頃に預言の声ラジオ放送を通してアドベンチストとなる。スパイサー・カレッジで神学学士を取得後、32年間、インドで牧師、教師、教会行政、編集に携わる。1990年、『ミニストリー』誌副編集長として世界総会に招聘される。1995年より世界総会教育部副部長。ニューヨーク・シラキュース大学よりジャーナリズム修士号、アンドリュース大学より博士号を授与される。教会誌および専門誌に300以上の記事を寄稿。『キリストとサタンの宇宙的争闘』ほか、数冊の著書がある。妻メリーとの間に2人の子供がいる。

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