聞いてまなぶ
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イエス様の系図
新約聖書を開くと、いきなりイエスキリストの系図が出てきます。それがけっこう長いのです。おまけに、舌を噛むような名前が連なります。そこには罪に汚れ愚かさを抱えた人たちが、たくさん含まれています。イエスキリストにとって、それはどういう意味があるのでしょうか? 私たちにとっては何の必要があるのでしょうか? -
祭りのあとの寂しさ
祭りが終わった。友達はそれぞれの家に帰った。屋台の店は片付いたところから引き上げて行った。見世物小屋のテントは地面に伏して巻かれてゆく。また来年まで。さんざん遊んで楽しんだのに... なんだか心には寂しさが残る。 -
試練を肥やしに
人は生きて行くにあたり、多かれ少なかれ必ず試練や患難に遭遇します。人はそれらによって何を得るのでしょうか。 -
人を汚すもの
イエスキリストの弟子たちが食事の前に手を洗わなかった事を、当時の宗教指導者たちが咎めたところから話は始まります。イエスは言われた「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来る物が、人を汚すのである」と。...もちろんこれは食べ物の事ではありません。心の問題なのです。 -
最後の戦い
人間にとっての最後の戦いとは何でしょうか? 希望とは、究極の選択とは・・・ -
唯一、後悔していること
アメリカで 90歳以上の方々からとった一つのアンケートにおいて、人生を振り返って後悔している事、との問いに約9割の方から「もっと冒険していればよかった」というような答えが返ってきたそうです。 -
聖書人物伝 ミリアム
ミリアムはモーセの姉です。さまざまな能力が与えられた、活動的な女性でした。イスラエル人のエジプト脱出をリードするモーセを力強く支えた一人です。しかし、そのミリアムも行き過ぎた行動に出てしまい、イスラエル民族を危機にさらす事があったのです。 -
原則に結びついて
コリン・ターナー氏が著書の中で「原則に逆らって進む生き方」と「原則に従って築く生き方」を紹介しています。これはそれぞれ、どういう事でしょうか? また、聖書にはどのような記述があるでしょうか。 -
本物とはなにか
芝居の世界では、日常使っている物をそのまま小道具として使う場合「本物」、舞台の為だけに使う物を「こしらえ物」と言うそうです。見せるだけの物が「こしらえ物」、実質が伴う物が「本物」と言うのは、人生の舞台でも通じそうな言葉です。私たちの生活の中で「本物」はどれくらい有るでしょうか? -
次の一歩だけ
なすべきことが多くて「どの様にしようか?」と考える事はありませんか? きちんと計画を立てても計画通りに行かない事はありませんか? 仕事に押しつぶされそうに思える時はありませんか? その様な時、この藤田牧師の話は参考になると思います。お聴きください。